何か続けたいことが見つかった時、それを続けられるかどうかって、最後は意志力だなあと。
続けられる環境や仕組みづくりももちろん必要だけれど、結局決めたことをちゃんとやれるか。その時の感情に流されずに貫けるか。
すごく難しいけれど、楽しい人生、幸せな人生に直結することだから、何とか変わりたい。
そんな同志の皆さんに、ベースを丸ごと入れ替えるような方法をまとめました。
そもそも意志とは?意志が強い人間とは?
辞書によれば「意志」とは、困難や反対があっても、最後までやり抜こう(絶対にすまい)という、積極的な心の持ち方 という意味。
つまり「意志が強い」とは、いつも積極的な心で生き、何でもやり抜こうとする気持ちがとても強い ということになります。「志す」という字が、前向きで、強い積極性を表していますよね。
中でも、「困難や反対があっても」という部分がポイントではないでしょうか。
そんな状況、誰でも不安になるし恐いはず。強い意志の持ち主であっても恐さはあると思います。だけどそこを、自分の意志で越えてしまう。
お菓子が大好きだけど、綺麗になるためだ。断とう。
難しい案件だから無理だと言われてるけど、やってみないとわからない。よしやるぞ。
そういう困難や反対にも立ち向かう姿勢で生きるから、やり遂げられることが多い。

それは、行動的なだけじゃなく、あきらめない気持ちにも後押しされるからだと思います。
意志が弱い人の特徴

意志が強い人とは反対で、いつも消極的な心で生きている。
うまくいかなかったらどうしよう、大失敗に終わったらどうしよう…そういう悪い結果を恐れる心から、マイナスな観念 (経験から培われた固定的な悪い考え) にいつも支配されてしまっている。それが共通の特徴だと思います。
長続きしないという経験から、「今回も続かないだろう」「まあ無理だろう」という、悲観的な考え。
失敗したという経験から、「できないからやめとこう」「このくらいでいいや」という、消極的な考え。
そういう考えが根強くあるから、やってやろうという前向きな姿勢になれない。臆病になって、躊躇して、迷って、行動にストップをかけてしまう。
どうにか前向きな決断をして行動できたとしても、やり抜こうという意志まではついてきてないから、途中で恐くなって、やっぱり…ってやめてしまう、引き返してしまう。だから結局続かない。
どうして私は中途半端なんだろう、意志が弱いんだろうと悩み続けてしまう。そんな悪循環があると思います。
初めてのことに挑戦する時、失敗が許されない時、ケンカの後に話しかける時、自分より強い相手に向かう時、誰だって「どうしよう…大丈夫かな…」って、心配になったり不安になったり、恐いって思うことはあります。
だけどその恐さに飲まれて消極的に生きてしまえば、尻込みすることはもちろん、何でも投げやりにこなすのが当たり前になって、ダメージを小さくすることだけが目的の生き方になってしまう。
時に立ち止まることはもちろん必要だけれど、ずーっと前に進めない、前向きにこなせないというのは、いつもどこか悶々として、消化不良な状態が続いてしまうのではないでしょうか。

「成長」という、生きることの醍醐味というか、生きがいを感じられずに生きるのは、やっぱり苦しいと思います。
消極的になった原因とは?
子どもの頃の育ち方が大きく関係していると思います。
赤ちゃんの成長過程を見るとわかりやすいですが、赤ちゃんて何にでも挑戦しますよね。親、兄弟、周りの大人たちを見ながら、しゃべろうとしたり、手でつかもうとしたり、足で立とうとしたり。
しかも、あきらめない。一心不乱というか、失敗しようとも何度でも挑戦して、いつの間にかできるようになる。やり遂げている。
つまり、生まれてきた時は、誰でも積極的な人間なんです。意志が強いんです。
だけど例えば、親が何でも先回りして何でも手を貸してあげて、挑戦する機会があまりない環境だと、自主的に動くことを知らずに育ってしまう。
例えば怒られることが多い環境だと、怒られる恐さから、積極的に行動しない人間に育ってしまう。
つまり、進んで動かないこと、成長よりも現状維持がデフォルトの消極的な人間になる。
私は後者の家庭環境で、一気に消極的に傾いたのは中学生の頃。
いつもビクビク過ごしていた自分をありありと思い出せるんだけれど、とにかくお母さんのことを恐いと思っていた。怒られることが恐くて、自分家なのに身を隠すように生活する毎日。小学生の頃はそれでも、勉強もピアノも優等生だったから、生徒会にも入っていたし、その自信が私のバランスをギリギリ保ってくれていた。
だけど中学生になると、いろんな人を見て、自分よりもできる人が山ほどいることを知った。自信がなくなって、残ったのは強い恐怖心。いや、自信じゃなく、虚勢という着ぐるみだったんだろうなと思う。纏えるものがなくなって、親、友だち、この世界、全部恐かった。
だけど私は人に恵まれ、一緒に頑張ろうって言ってくれる友だちがいたから、ぺしゃんこにはならずにいられました。
伝えたいのは、だから、努力さえすれば積極的な人間に戻れるということです。
消極的になりやすい環境で、消極的な言動が習慣になり、消極的な人間になった。
であれば、積極的になりやすい環境をつくり、積極的な言動を習慣にすれば、積極的な人間になれる。つまり意志が強い人間になれる。
もちろん、言うは易く行うは難しなんだけれど、変われないなんて悲観的にならなくていいってわかっただけでも、救われる気がしませんか。
意志が強い人間になるためには
消極的な言葉は使わない
腹が立った、つらい、無理、できない、治らない、面倒。など、気持ちが余計に沈んでしまうような言葉は使わない。
だから立派な人間、すなわち“できている人”は、どのような難事にあっても弱音を吐かないで自分の力で解決する。それは、こうした言葉をいくら使っても現状打破にはつながらないことを知っているからである。
中村天風 心を鍛える言葉 / 岬龍一郎
ぐうの音も出ません…
感情に任せてついぼやいてしまうんだけれど、それを言ったって現状は変わらない。
むしろ言うことでかえってイライラしたり、気持ちが落ちたりするから現状より悪くなると言える。

いつも前向きで颯爽と生きている人って、ちゃんと自制心が育ってるんだなあって思います。
人の愚痴話に心を支配されない
同僚や家族、友人の愚痴を聞く時、かわいそうだなあと同情し、寄り添って勇気づけることはあっても、その人の気持ちまで背負わないこと。
SNSで、攻撃的な言葉を見るともなしに見ることがあっても、自分の心は感染させないこと。
引きずられて、自分の心までイライラさせたり、落ち込んだり、騒がしくしていたら、人生に積極的に向かうことができません。
そんなちょっとしたきっかけで、何もかも嫌になったり、無駄に思えたり、投げやりになってしまう。
人間はそもそも、自然とネガティブなことを考えてしまう生き物なのだそう。だからネガティブなことに触れる場合は、それなりの気合が必要。愚痴を聴くなら一貫して励ます姿勢でいることが大切。

心がざわざわしそうなことは最初から遠ざけたり、なるべく陽の気に溢れた人と関わるというのも、心をいつも元気に保つために重要だと思います。
自分の言動を常に観察し、積極的な方を選ぶ
何か任された時、私にはできないと考えてしまったとしても、「やってみよう」と積極的な選択をする。
仕事で疲れている週末、公園で遊ぼうと誘われた時、えー疲れてるのにって考えたり言ってしまったりしても、「やろっか」と積極的な選択をする。
常に審判の自分を心に置いて、それ積極的ですか?と問う。自分を奮い立たせて、行動する方を選ぶ。
不思議なもので、一旦よし!とやる気を出してしまえば、立ち止まっているよりもずっと楽しくなってくるもの。
そうやって動くことを選ぶように意識すれば、弱い意志が現れなくなっていく。消極的な言動が癖になっている自分を追い払うことになるはずです。
夜寝る前、朝起きた後に良いことを考える
心理学の世界では、就寝前に考えたことが、その人に同化する=潜在意識に刻み込まれる という「特別無条件同化暗示感受習性」があります。
この習性を活かして、例えば「今日人の役に立てたこと」「感謝したこと」「楽しかったこと」を考えてから眠りにつくと、その明るい心が自分に同化していくというもの。
自己暗示のようなものなので、ありたい自分の姿を思い浮かべたり、どうなりたいかを言葉で反芻したりするのも、そういう人間をつくる手助けとなるようです。
そして目が覚めたら、同じように良いことを考える。今日も無事に始まったことに感謝したり、こんな自分で過ごすぞ!と意気込んだり。これから始まる1日のモチベーションがぐんと高まって、積極的に活動できる。

ポジティブなものに目を向ける習慣がつけば、行動力も意志力も変わっていくと思います。
積極的に生きれば、意志を強くするために必要なことが揃う

積極的に生きようとする時って、やってみようという「勇気」とか、きっとできるという「自信」や「信念」がそこに生まれてくる。意志を強く持ち、やり遂げるために必要な要素が自然と集まってくる。
意志が強い人って、だから元気で明るくて、颯爽と生きていて、いつもパワーがみなぎっているんだなあと思います。
そして共通して、愚痴や否定的なこと、後ろ向きなことは言わない。
やっぱり「言葉」が強力な味方なんだと思います。
「人生を楽しく生きようと思うならば、きょう一日、お互いの気持ちに勇気をあたえるような言葉、喜びをわかち合う言葉、聞いて楽しくなるような言葉を使おうじゃないの。
中村天風 心を鍛える言葉 / 岬龍一郎
積極的な言葉のみを使って生きている人が多くなれば、この世は期せずしてもっともっと美しい立派な世界になるぜ」
私はこの言葉が、言葉の中心の価値を表現してくれている気がして、心が高鳴ります。
たぶん、真剣に変わろう、真剣に生きようと考えたら、言葉の使い方にたどり着く。それは、言葉が心をつくっているから。それをよく心得ている人が、変わっていく人なんだろうなと。
小学校の時、「積極的に挨拶するクラス」という学級目標を立てたな〜って思い出すんですが、人生で大事なことって子どもの頃に全部教わってるんですよね。
そしてそうやって積極的に挨拶する、積極的に生きる自分を、すごく好きだったなあって。心に雲が一つもなくって、本当に清々しかったなあって。
あの頃の気持ちをちゃんと思い出すと、どういう心が大事なのか、見えてくる気がします。
「積極的」という言葉をまた仲間にして、毎日向き合って行こうと思います。

