自分に合うもの合わないもの。合わないもの編。

考え事をする女の子

改善愛好家を名乗る私が、大きい改善から小さい改善まで日々取り組む中で気付いたのは、合うもの合わないものは人それぞれだということだった。同じ物を食べ、好みも似通った家族ですら合う合わないは同じじゃないのだから、同じ人間とはいえ個の持ち物は違うのだなあと当たり前ながら面白い。

好き嫌いも、世間一般の良い悪いも実際あるけれど、何より自分が心地良いかどうか、バチっと合っているかどうかを知ることは生きやすさに繋がるのではないだろうか。
そんな思いで私にとっての合うもの合わないものを、合うもの編に引き続き探ってみた。今回は合わないもの編です。

もくじ

自分に合わないもの

くるみ

20代の頃一時期、4〜5年くらいはロカボナッツにハマっていた。
炭水化物の何がそんなに作用するのか、顔だけがぶくぶく太ることに気付いた私は大好きな米やパンを手放し、糖質制限に並々ならぬ気迫で取り組んでいるところだった。ロカボナッツは特に糖質を抑えていることもあり最初はその味気のなさにそこそこ眉をひそめたが、低糖質というワードのインパクトにひれ伏して、肉、野菜と共に長らく私の食事を担当してもらった。

もともと朝ごはんはスキップした生活だったから、お昼に肉野菜ナッツ定食、夜に肉野菜定食ときどきナッツの2食が基本のスタイルで、どうしてもお腹が空いたな〜という時には間食にもナッツを食べていた。昔はお菓子が並んでいた戸棚にデルタのロカボナッツが列をなし、自分の食生活が大胆に健康に振り切っているななどと誇らしく思ったものだがそこはやはりいっぱしの人間である。たまには味変したくなるというものだ。無塩ミックスナッツに手を出し、有塩ミックスナッツにときめき、最終的には稲葉ピーナツのクレイジーソルトナッツに沼になった。岩塩のパンチ力、ハーブとの相性が最高すぎて、小分けが小分けの意味をなさないほどじゃんじゃん食べ、食べすぎて当然肌が荒れた。思春期以降、もちろん徐々に落ち着いてはきたものの年中ぽつぽつニキビが出るタイプだったから、多少の荒れなどは少々コショウというものだがさすがにいかんレベルになった。低糖質・高タンパクという素晴らしさの裏に、高脂質という落とし穴があったことを思い出し、心落ち着けロカボに戻した。

30代に入ると環境や関心事に変化があったから、皮膚科に通い出したり食事を見直したりしてより改善の面白さを感じた。女性に限らず、肌が綺麗であるというのはそれだけで心躍るものなんだなとようやく気付き、ほぼ肌が荒れていた自分の人生にいたたまれない気持ちでいっぱいになったが、これからは心を躍らせて行こうじゃないかという気持ちも起きて張り切った。

するとあっさりと、くるみが合わないことに気付いた。
たまたまローソンで京挽ききなこくるみを買って半分食べたのだが (久しぶりのナッツだった)、次の日の朝ニキビが出た。食べすぎというのは考えづらかったから、もしやくるみ不適合者ではあるまいな…という疑念が湧いたのだけれど、ずっとお世話になってきたものだから申し訳ない気持ちもあって慎重に調査を進めたところ当たってしまった。アーモンドもカシューナッツもピーナッツも大丈夫だったが、くるみはアウトだった。1こ2こでもしっかりニキビが出る。ヘーゼルナッツもやや反応するところを見ると、脂質の量が関係しているのではないかと読んでいるが (くるみもヘーゼルナッツもナッツ界で脂質量高め)、そんな単純なものでもない気がするし明確にはわからない。昔から合っていなかったのか、体の変化があって合わなくなったのか…。
何にしても、整っている状態が日常化すると微々たる変化にも気付けるようになって原因がつぶしやすくなるんだなあと、あっこれってもぐらたたきみたいだなと思った。

クリームチーズ

好きな物かつ合う物としてチーズとヨーグルトを掲げた私であったが、実はクリームチーズは合わない。
牛乳以外の乳製品は何でもおっけーみたいな感覚で生きてきたから (牛乳は単純に味が苦手)、クリームチーズが合わないものリストに入ってきた時はちょっと泣きそうだった。カボチャサラダにはクリームチーズを混ぜ、ジャムを消費するためにクリームチーズを買う。許されるならば、ヨーグルトのように容器を抱いてわしわし食べたい。

チーズを思う存分食べたいがためにワインを克服したというのは本当で、一部友人の間では有名な話である。それくらい私はさまざまなチーズがいけるタイプだ。ツンとする青カビ系も食べるし、やわらかいのからハードなものまで全般いけるから、ワインのお店に入ったらいの一番にチーズ盛り合わせを頼む。もちろんクラッカーとクリームチーズも忘れない。もしドライフルーツも添えられていたらはなまる満点、上機嫌だ。

そんな存在のチーズ、クリームチーズが合わないなんてちょっとどんな運命かと思うのだが、間違いなく合わないのだから仕方がない。くるみと同じようにちょこっとでも食べたらしっかりニキビが出て、しかも治りづらいときたから泣く泣く買うのをやめた。ネットで調べて見るとこれまた脂質が高そうで、脂質量の問題なのか脂質の中の何らかの成分がとんでもなく合わないのか定かではないが、私にとってはくるみ的立ち位置の食べ物だということがわかり静かに離れた。

ちなみに、小分けされたクリームチーズで有名なkiriもダメだったから (今はクリームチーズからクリーミーポーションに名前が変わっている)、今はカマンベールチーズとプロセスチーズに支えられている。
生クリームは全然大丈夫なんだけどなあとちょっと腑に落ちない気持ちではあるものの、食べ物の単純さと複雑さを前に何も言えなかった。

子どもの頃から揺るぎなく好きだった物が肉であり、炭水化物と距離を置くようになってからも随分長い間伴走してもらった。米やパンがなくたって肉があれば生きていけると信じていたし、我は肉の申し子なりと威勢よく生きられるほどに肉に生きていた。肉のない人生など想像もつかなかった。
しかし、大大大好きな気持ちとは裏腹に、どうやら体には合っていなかったらしいということが判明しクリームチーズの時以上におんおんした。

あまりに衝撃だったからここで順を追って話したい気持ちでいっぱいだが、長くなりすぎて読者の指をスクロール痛にしては大変だから下記の記事に譲ることにする。興味があれば後で読んでみていただけたら嬉しい。

小麦

子どもの頃の朝ごはんと言えば食パンかヤマザキのマーラーカオで、おやつにも北海道のイラストがセンターを飾るヤマザキの北海道チーズ蒸しケーキやポケモンのシールが付いてくるポケモンパンを代わる代わる食べていた。
パンはうまい。ふわふわだったりもちもちだったり、誰も抗うことのできないやわらかさと弾力でぐいぐい迫ってくる。なのにしかも簡単だ。白飯のように米を量って綺麗に洗って水の量をおいしい加減にしてと、丁寧なお仕事なしで我々を満たしてくれる。それぞれ生活に追われまくる日常に、パンは無条件でゆとりと喜びを運んできてくれる。
父が好きでインスタントラーメンもそこそこストックされていたけれど、お湯を沸かして麺を煮てその間にスープの準備をしてとややあわあわする工程を踏みながら、麺がだらけてしまう可能性にハラハラもしなければならないから私にとってはおいそれとはいかない料理である。簡単においしく食べられるように作られたまことに有難い製品なのだが、結構思い切りが必要という理由で私はちょっと敬遠している。やはり心のゆとりは必要だ。

そういったわけで小麦界ではパンが断トツに好きで、今でも1人定期的にパン祭りを開催するくらい敬愛しているのだけれど、とうとうグルテンが合わないかもしれないことに気付いた。
とある朝、洗顔をした時の手触りにどきっとし鏡を覗き込むと、小鼻と小鼻の付け根の毛穴がつるんとなっていてあまりのことにおろおろした。何が起きたんだ…?ますますじーっと観察すると、どうやら詰まりが綺麗にとれて凹凸がなくなったようであった。確かに慎ましい食事を心がけるウィークデーの最中ではあるが、こんなことは今の今まで一度もない。いろいろな改善意欲が湧き皮膚科に頻繁に通っていた頃でさえ、小鼻と小鼻の付け根はつるつるにはならなかった。もう手に追えない詰まりなのだとあきらめていた。のに!
これは原因を探らねばとここ数日で食べた物、料理に使った調味料を洗い出してみると、たまたま3日間No小麦で過ごしていたことに気付いた。それでピンときた。グルテンを摂らなかったのが良かったのだと。そもそもウィークデーは、主に野菜と卵と大豆類で過ごす私だから小麦っぽいものを普段から摂取していないのだが、どうやらこの3日間は調味料でも小麦を使わず、食品表示にも小麦の記載がない物でやりくりしたらしかった。偶然、本当の本当にグルテンフリーで生き抜いたのだった。

肌への影響があまりに嬉しくそのままグルテンフリーを続けてみると、今度は背中のニキビが治り、しかも出にくくなった。これはいよいよかと調べてみると、グルテンを摂らないことで腸内環境が良くなり、ターンオーバーも整って肌が改善されたのではないかという結論に至った。

パンが大好きなことを理由に、グルテンフリー食品が世の中に溢れるのを無関心で通り過ぎていたがこれはもう認めざるを得ない状況であった。肌トラブルの全部が全部グルテンのせいではないにしても、その影響力は凄まじい。なにしろ、小麦アレルギーなのではないかと思うほどの変わりようだった。

それ以来、食品表示をよく見る習慣がついたのだが、これにも!?これにも!?と小麦オンパレードで、むしろ小麦が入っていないものを探すのが至難の技であり、日本も堂々小麦大国なのだと驚いた。そして知らぬ間にいろんな物のサイズが小さくなり、量が減り、けれども値は上がっているという現状にも気付いてぞっとした。
今でもやっぱりパンはやめられないが、できる時はなるべく頑張ろうと、ゆるグルテンフリーを続ける私であった。

にんにく

おいしいものにはにんにくが使われている、というのが私の持論で、焼肉もタイ料理も中華料理もにんにくの効きがおいしさを決めると思う。それくらい、あれば薬味ににんにくを選びたいタイプだったし、二郎系ラーメンには背脂もにんにくももりもりで食べるのが好きだった。にんにくが入っただけでガラっと味気ある食べ物に変身し、むくむくみなぎるものも感じられるから入れない手はない。
そういえば小学生の頃は、おばあちゃんちで採れたにんにくを灯油ストーブの上でこんがり焼きはふはふ食べるのが大好きで、にんにくのおかげで風邪知らずな子どもだったことを思い出した。大事な時代をにんにくに支えてもらいベースにたくましさが満ち満ちているからか、大人になっても風邪知らずで元気に生きられている。

そんなにんにくと距離を置くようになったのは最近のことだ。
BBQに行った際、超万能スパイスで有名なほりにしをお供に肉をかっくらったのだが、食べ終えた後、胃のにんにく感がどうにも気になって落ち着かず、みんなでわいわいしたおいしい時間を思って切なくなった。食べすぎたというよりは処理できませんよ〜という体的なサインを感じ、言うてスパイスだが…?と疑念はあったものの、にんにくがちょっと無理になってきたのかもしれないという可能性におたおたした。
そして、辛いものを食べようぜ〜!と家族揃って本格タイ料理に行った時に、モウワタシニンニクアワナイ、モウタベナイ…的な状況にいよいよなった。いろんなメニューを頼みシェアして食べたのだが、胃のにんにく感を私だけ1日半引きずったのだ。「確かに食べた後は胃がにんにくだったけど、今はもうないよ」と翌朝元気に過ごす家族を横目に、私は何をしていてもにんにくが体と頭を占領するものだからどんよりとよぼよぼ過ごすことになった。

好きなスナック菓子と言えばガーリックパウダーがふんだんに使われたピザポテトだったしうまい棒の明太子味であったが、もうそれすら食べられなくなった。あんなに好きだったけれど、きっと、いや絶対合ってもいたんだろうけれど、もう合わなくなった。体に、そして生きるスタイルに。ああちょっと寂しい。
しかしにんにくなしのガパオライスも全然いけて、なるほどナンプラーとプリックポンがあれば十分タイ料理なのだなと心底安心した。

まとめて一気にやる

私にとって家事は苦手なことだ。なにぶん時間がかかる。
朝6時前に起き出して洗濯、掃除機、トイレ掃除とずいずい作業を進めてもあっという間に3時間くらい経ってしまうし (メイクや着替えの時間も入ってはいるが)、買い物や料理もするから結局1日中家事に時間を使っている感がすごい。そもそも手際がそんなに良くないことが原因でもあるのだが、そんなわけだから日々ちょっとした改善をしてどうにかやっている。時短家事テクニックが話題になるのがよくわかる。切実なのだ。

そんな私が特に苦手なのがお風呂掃除。あれはトップクラスに時間のかかる作業だ。
鏡、浴槽、浴槽の蓋、たらい、バスチェア、シャワーヘッド、手すりやタオル掛け、シャンプートリートメント類の容器とそのラック、壁、床、ドア、排水溝…とにかく大掛かりで、今日はお風呂掃除デーとカレンダーに記して家族に頑張れ頑張れと応援されて良いレベルだと思っている。
汚れ度合い的に見て週1回、重たい気持ちをどうにか奮い立たせて挑む土曜夜。これを頑張れば日曜日だ!と頑張ってきたのだが、とうとう怠け癖が顔を出し始め、排水溝が溢れるまでになったりしたからさすがにまずいと改善策を考えた。

土曜夜は間違いなく陽気だが1番疲労している日でもあるからと、木曜夜に変えてみた。週後半ではあるものの、もうひと踏ん張りだと今一度気合いを入れ直す日でもあるからうまくいくはずだと読んだのだがダメだった。熱が仕事へ全振りして余計に甘くなった。
いっそのことと日曜朝に設定し、これが終わらなければ出かけられないという切迫した状況を用意してみたが、やりたくなさは健在でかつ急がなければというダブルパンチとなり出かける前からへとへとで、しかも予定時間に間に合わなかったりしてもうぐだぐだだった。

いよいよ家族に分担を依頼しようかとも考えたのだが、できない!本当に無理!という状況になるまでは頼ってはなるまいと試行錯誤し、ようやく見つけられた。まとめて一度にではなく3回に刻んで完了させるやり方、分散掃除だ。木・金・土の入浴終わりにそのまま掃除をして上がるという方法にしたらサボらず、しかも軽やかな気持ちでできるようになった。

そうかそうか大掛かりなこと、苦手なことほど分散させ、小さく小さくして小パワーで乗り切れるようにすることが肝なのだな。それが私に合うやり方なのだな。
それ以来、お皿洗いも料理をしながらちょこちょこ洗い、旅行でキャリーバッグに荷物を詰めるのも3日前から少しずつ進めたりしてうまく回るようになった。結果的に時間も軽さも清々しさも一気にやってきて最高だ。

注目を浴びる

記憶の限り、小学生までは注目を浴びることが好きなタイプだった。堂々手を挙げてバンバン発言していたし、学級委員も生徒会もやりたくて立候補した。しかし中学生以降全く逆のタイプになり、注目を浴びる場、その時間に猛烈な緊張でぜーぜーし、引っ込み思案になった。世界が広がって、もっともっとできる人はいる、自分は大したことない人間だみたいな考えがたぶんそうさせたんだと思っている。どう見られるだろうかということにギンギンになり、人前で話をするなぞもはや苦行とばかりに避けるようになった結果、友人と話す時でも緊張し、いつの間にか自分の意見を言語化できない人間になっており、せっかく振ってもらった話を広げられなさすぎて焦りまくっていた。

大人になってこうして物書きをしようと決めた理由の1つに、書けるようになれば話せるようにもなるのではないか、というささやかな望みを託した部分もあるのだけれど、そこは全く変わらなくて笑えた。一言一句準備しなければ全然話せず、準備していっても注目を浴びればガチガチになってしまう有様で滑稽なほどだった。

さて、ある集まりで20名ほどの前に立ち順番に1年締めくくりの話をする機会があった。毎年ある行事なのだが、初参加の昨年はやむを得ず出られなかったから、今年は絶対出なければならぬぞ〜と腹をくくっていた私だけれど、2週間前くらいには緊張し始めて何をしていてもそのことで頭がいっぱいという状態になった。あまりにストレス過多だったのか、1週間前になるとみるみる肌が荒れ始めマスクなしでは外に出られなくなり、そんなことより当日に向けてめきめきとポンコツになっていった。洗濯しようとしっかりネットに入れたのにあろうことかそれを丁寧に洗濯かごに戻しており洗えずじまい。逆に、しっかり放り込んだと思っていたふきんが使いっぱなしでキッチンに静かにしていておぉ…となった。ぶつぶつと話す練習をしながらコンタクトを取り出し、気付くと右目に2枚装着していてさすがにビビり、いかんいかんと気を取り直してスキンケアに励むもハッと気付いたら15分ずーっと化粧水と乳液を繰り返し塗りたくっていてひーとなった。
毎日毎日何年も続けているルーティンも、人前に立たねばならないという状況を前には全く機能しないらしい。

普通に、自然な生活ができなくなるレベルとなるとこれはきっと合わないことなのだろうと思ったが、そもそも書くのと話すのとは全然違うものなのだなと悟った。

結局その集まりはたまたま予定に空きがあった家族に代わってもらい、淀みなく締めくくってきてくれたようで安心する。私は至らなさに情けなくなっていつもの3倍のスピードと気合いで書き物をびゅんびゅん進めたというようなことを話しそれを読んでもらうと、「ほんとにすごい勢いで書いたね」と褒めてくれた。

まいたけ

私には足がすくむようなことも、じゃちょっとコンビニ行ってくる!くらいの何もなさで軽やかに向かってしまえる人がいることの不思議と、チーム家族であることの有り難さに胸がいっぱいだった。

プリーズ シェア!
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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

いつだって心穏やかな人でいたい。生きることに、シアワセな気持ちで取り組みたい。そんなお仲間を見つけられたら嬉しいです...!

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