幸せな人が心得ている「幸せの条件」は何か。
幸せな人が心掛けている「幸せのためにしないこと」とは何か。
そんなの当たり前だろうと思うようなことも、実際それができている人はきっと少ないのかなと思います。
幸せのために、良い人生をつくるために何が大切なのか…?
改めて納得し、正しい道を進んでいけるといいなと思います。
そもそも幸せとは何か?
何の悩みもなく、心がとても明るい状態のことを幸せだと呼ぶのではないでしょうか。
何が幸せかって、人それぞれいろんな答えがあるけれど、後ろめたさや罪悪感、怒りや悲しみなど、もやーっと心を曇らせるものが全くない状態のことだと思います。
お金、地位、名誉があれば幸せかと思いきや、実はそんなことはなく、全てを持っているような、周りが羨むような人にこそ悩みが多かったりして、幸せになるにはどうすればいいのかと苦しんでいたりする。片や、そういうものには縁遠そうだけれど、平凡に、元気に明るく暮らす幸せなそうな人たち。
そこにはどんな違いがあるのか。幸せな人が普段からしている「しないこと」は何なのでしょうか。
幸せな人がしないこと

愚痴を言う
仕事や家庭でのこと、友だちとのこと。
生きていればいろいろあるので、不平不満が生まれるのは仕方のないことです。そしてそれを吐き出したくなる気持ちも、多かれ少なかれ誰もが持っているものだと思います。
だけど、ぐわああああーっと吐き出してみても、実際すっきりするのは一瞬だったり。吐き出すことであの時のイライラを蒸し返すし、それによって言動が荒くなるし、結局ずっと怒ってる。根本的には解決してないから、愚痴った後もやっぱり怒って生活して、つまり何にも進まないんですよね。

幸せな人は、愚痴を言うことが、「言っても仕方のないこと」「愚かなこと」だと理解しているんだと思います。
過去を思い出す
過ぎ去った出来事は、もう目の前にはなく、1番どうにもならないこと。
良かった過去を思い出せば、良い思い出に浸れると思いきや、あの時は良かったな…と「今はそうじゃない」感を掻きたて、未練めいた思いを残してしまう。悪かった過去を思い出せば、その時あったまま、嫌な気持ちもそのまま連れてきて、苛立ったり後悔したり。愚痴も出やすくなります。
私は道を歩いている時にふと過去を思い出してしまうことが多いんですが、大抵「なんでああいうふうに言っちゃったんだろう。本当はこう言わなきゃいけなかったのに」って、そんなことをぐるぐる考えてたりするんです。
でも、胸が詰まって、嫌な感覚になってきて、あっやめようやめようって。今考えたって仕方ないって終わる。
結局、過去を思い出すこと=過去に引っ張られること は、「今」を生きている自分をないがしろにしてしまう。全力を注いでない。だから前に進みきれなくて、そんな自分のことも嫌になってしまう。

過去は過去。できることは、今にしかない。幸せな人はそれを心得た生き方をしているんだと思います。
未来を思い悩む
未来はどうなるかわからない。未知の世界だから、不安や恐れが出てきます。
思い描く通りになるだろうかと心配し迷うことは、慎重を通り越して、今の自分の行動にストップをかけることになるかもしれません。前進して、成長していくことが人間の喜びなのに、失速して立ち止まり、進むにしてもパワーが出し切れない。中途半端になってしまう。
だから、まだない未来は、今やるべきことを真剣にやった後、答え合わせをするくらいでいい。明日を心配していないで、今日できることを精一杯やる。

そうやって積極的に事に向かっているから楽しいし、そのおかげで余計なことを考えずに、充実した、幸せな気持ちで一瞬一瞬を過ごせるんだと思います。
他人と比べる
自分と何が違うか。どこが優れていて、どこが劣っているか。比べると、良くも悪くも線を引くことになってしまう。
違うとわかれば否定し咎めて、劣っているとわかれば妬む。自分の方が優れていたとして、もっと広く見渡せば、もっともっと上は存在する。敵対心を持つようになっていきます。
比べずにいることがなかなか難しい世の中ですが、周りを見れば見るほど焦るし、そんな気持ちで取り組んでも上手くいかない。

見るべきは自分自身。今の自分を認めながら、少しずつありたい自分に近付いていくことが、幸せな生き方なのではないでしょうか。
悪い言葉を使う
これは愚痴を言うことにも繋がっているんですが、「できない」「やりたくない」「困る」「うまくいかない」「つらい」「嫌い」などの否定的な言葉は、自分も周りも不幸にする力を持っています。
そういう言葉を日常的に使っていることで、「不愉快な心」が通常モード。何に対してもネガティブ思考だから、やってやろう!立ち向かっていこう!という気持ちが起こりづらくなり、物事はどんどん悪い方へ進んでいく。
当然、その言葉を聞き、その姿勢を見ている周りの人が気分良く過ごせるわけがないので、道連れ状態です。
言ってはいけないことだとわかりながらも、あー最悪だーとか呟いちゃうんだけれど、言ってて全然良い気持ちにならない。

元気が出たり、勇気が湧いたり、そういう、心に水をあげるような言葉を使うことが、自分を満たし、相手も満たすものなんだと思います。
自分と他人を切り離す
同じじゃない。無関係だと考える。全くの無関心になる。
共生する世界に生きながら、そういう生き方をすることは、本来味わうはずの喜びを突き放し、感謝の気持ちを持つこともないから敵対して、暗い人生になってしまう。
人に親切にしたり、役に立とうと動いたりすることは、自分が善く生きている実感を持つことに繋がるので、それだけで幸せな気持ちになれる。満たされます。
何かを解決するために、切り離して考えることは時に必要だけれど、完全に別物として切り離した考え方を持つことは、この世界でのあり方としてたぶん不自然で、悲しいこと。

他人あっての自分。他人の喜びが、自分にとっての喜びになる。人として、何が1番心を潤わせるのか、幸せな人はそれをよく知っている気がします。
大切なのは、「積極的に」生きること

失敗したり傷付いたり、思うようにいかないことがあると、人は守りの姿勢、受け身の姿勢で生きることになる。恐れる心が臆病にさせてしまう。
よく言えば「控えめ」ということかもしれないけれど、物事にぶつかっていくパワーは半減し、人に思いを伝える言葉も十分じゃなくなってしまう。
つまり、消極的な人間になる。消極的に生きることになる。どんなに良い流れがやってきても、乗ることができない。勝負どころで前向きな判断に躊躇したり、もうどうしようもないことに悲しみ続けたり、些細なことでものすごく怒ってしまったり。
反対に積極的に生きていれば、判断の方向性が決まっているから迷わずチャンスをつかめるし、前に進むパワーがすごいから結果としてうまくいく。失敗しても立ち止まることなく、常に切り替えて心を良い状態にしておけることで、好循環がつくれる。
先にお話した「幸せな人がしないこと」は、積極的に生きるため=心を明るく、前向きに保つ のに力を貸してくれます。
難しい仕事を受け持たされて、「とても難しいので自分にはできない」と最初から放棄する者と、「これは飛躍のチャンスだから挑戦してみよう」と考える者とでは、その将来においてはまったく違った人生を歩むことになる。
中村天風 心を鍛える言葉 / 岬龍一郎
「うまく行ったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまく行ったのだ」といつも考えねばならない。どうしてもよろこびが欲しいというならば、まずよろこびを蓄えておきたまえ。いただく前に感謝したまえ。
アラン 幸福論 / アラン,神谷幹夫 訳
なぜなら、希望から求める理由が生まれ、吉兆から事が成就するのだから。
結局、心のあり方が、幸か不幸かを決める。
目の前の出来事に対して、自分は積極的な姿勢でいられているだろうか…?
いつも自分の心を客観視して、積極的な選択をしていけるよう努めたいですね。


