先日、街を歩いていたら、思わず立ち止まってしまった。
素敵なウォールアートを見つけたからだ。
どうやらそれは、工事現場の仮囲いを利用したもののようで、その囲いの後ろでは大きな重機が動いていた。
仮囲いというのはもともと、現場の職人や近隣住民の安全を目的として設置されていて、重要視されるのは騒音防止などの機能性だったらしい。そのため、仮囲いにデザイン性を求めたり、ましてや装飾したりすることは稀だった。
けれど最近では、オープンの告知やアートイベント、まちづくりを目的として、仮囲いがより大きな役割を果たしているようだ。
確かに、緑あふれる街をテーマにしたアートを街中で見かけたり、駅地下の壁面が広告ではなく、ハッと目を惹くアーティスティックなデザインで彩られているのをよく見るようになった気がする。
それにしても大きな絵の飛び込んで来方というのは、普段片手におさまるスマホを相棒にする私たちにとって、何倍もの迫力がある。もっと周りを見渡して歩きたいものだ。
それでそのウォールアートというのは、デザイナー自身が手掛けたようなものではなく、この街に暮らす子どもたち1人1人の「将来の夢」で創られた、線路と電車の絵だった。今までに見たことのない類のアートだ。
15cm四方の白くて薄いタイルのようなものに、1枚1枚手書きで夢が書かれている。
おはなやさんになりたい。
プロ野球選手になりたい。
宇宙を研究する人になりたい。
夢という目的地を目指し、線路を走る電車が描かれた1枚の絵。
明るい未来を想像して、胸が高鳴った。
その中でも、印象的だった夢が2つある。
笑顔を届けられる人になりたい。
心の広い人になりたい。
まだ短い人生の中で、そんなに大きく、深いことを感じ、決意している子がいるのかと、正直驚いた。そして、羨ましくも思った。
小学生の頃、私は夢のない子どもだった。
いや、正確には、夢というものがよくわからなかった。
将来の夢についての作文には、当時習い事だったピアノに一肌脱いでもらい、ピアニストになりたいと、それらしいエピソードを書いた。親にそれを見せると、ピアニストになれるのなんてほんの一握りだと現実を突きつけられた。
じゃあピアノの先生にしようとまた安易に話を作ると、音楽の道で食べていけるのなんてほんの一握りだと、あー言えばこう言う的な返しがきて、夢ってなんなんだと思うようになった。
それ以来、大人たちに「何になりたい?将来何になる?」と聞かれる度、うーんまだ決まってないかなあ…といつも曖昧な返事をするようになったし、それによって今度は「いつ決まるの?」とか怒られたりもして、もやもやした思いを引きずっていた。
そう、私には「就きたい職業」なんてなんにもなかった。
幼稚園の頃、パン屋さんになりたいとか人並みに思ったりもしたけれど、おままごとの延長のような、そんな気持ちだったと思う。
恥ずかしくて、いや、自分の感覚が変なのかもしれないという不安で言えなかったけれど、私は「優しい人」になりたかったし、「いつも明るい人」になりたかった。
「素直にごめんねと言える人」「困っている人に躊躇なく手を差し伸べられる人」
そういうのが私のなりたいものだった。夢だった。
だけど、周りにそんなことを言う友だちがいなかったし、聞かれているのは、求められているのはそういう答えじゃないと、子どもながらに悟っていた。
周りと足並みを揃えなければ、はみ出しちゃいけないと必死だったし、測りようのない、どこかふわっとしたような自分の夢は、夢と呼んでいいのかもわからなくて、誰にも言えなかった。
だから、堂々と「笑顔を届けられる人になりたい」「心の広い人になりたい」と書ける子が、すごく羨ましかったのだ。
迷わず、自分の奥の奥にある声を大事にできる子が、本当に眩しかった。
親なのか、おじいちゃんおばあちゃんなのか、先生なのか、本なのか。
何にしても師と呼べるような人に、言葉に、出会っているんだろう。
今なら、ちゃんと言える。
本当は、何になりたいか以上に、「どんな人になりたいか」「どういう人でありたいか」が大切なんだと。
それは、一生をどう生きていくかを考えることだから。
毎日、毎分、毎秒、ずーっと向き合い続けていくテーマだから。
でも、職業というのは夢を実現するための一つの手段であることを忘れてはいけないし、それがダメだからといってすべてがダメというわけではないわ。
君と会えたから…… / 喜多川泰
また別の手段を使って自分の夢を実現する方法を考えればいい。
夢は自由。だからもちろん正解はないけれど、手段を目的にしない、というのは正しいと思う。
それが、ブレずに、死ぬまでの一瞬一瞬を大切にできる生き方なんじゃないだろうか。
一生有効な片道切符を手に、人生という名の列車に乗る。
私は随分大人になってから乗ったけれど、この列車の良いところは、いつからだって乗れること。気付いた瞬間に飛び乗れること。
この列車が満員になったら、世界はきっと良くなる。
「将来の夢アート」が、たくさんの人の目に触れますように。
生まれて初めて、工事がちょっとでも長引くことを願った。
