理想の自分と、夢さがし。

旅をする人たち

あるドラマの、すごく好きなシーンがある。


ハワイ島の空港でピアノを弾く1人の男性。
そこに、仕事で偶然居合わせた1人の女性「さえ子」は、明るく、力強いその演奏に聴き入っていた。上手くいかなかった商談に、今まさに落ち込んでいる時だった。

音楽でぐいぐいと人を巻き込み、拍手喝采の中立ち上がった男性は、あろうことかさえ子に近付き、「今の君に必要なもの、教えようか?」と満面の笑みで言って放つ。

空港内のカフェで待つさえ子に、その男性はコーヒーを手に現れ、「で、名前は?」と聞く。警戒心あらわに答えるさえ子のことなど全く気にも留めていないその男性、「雄介」は続ける。

「きっと君は嫌なこととか悔しいこととかあってイライラしてると思うんだ。だからまずはコーヒーでも飲んで、落ち着きましょう。ね?まあコーヒー飲んだからって解決しないかもしんないけど、フッと一息つくことで、置かれた状況がそこまでひどくないかなって思えたりするかもしれない。まいっか、何とかなるか、みたいなね。それに、見えなかったものが見えたり、気付かなかった美しさを見つけたり。コーヒーにはさ、そういう力があるんだよ、知ってた?」

まるで大切な親友のことを話すかのように楽しそうに、熱っぽく語った後、「今のさえ子に必要なのは、たぶん、コーヒー」と自信ありげに言う。
コーヒーの会社に勤務するさえ子は、言わばコーヒーのプロであるが、自分もおいしいコーヒーに救われた経験があるからこそ、雄介の言うコーヒーの力というものを信じられるところがある。

「で、夢は何?」

あまりに唐突に質問され、「…夢?夢を言うの?この流れで?」と、さえ子は思わず笑ってしまうものの、答える。

「かっこよく生きて、誰よりも幸せになること。豊かにセンス良く生きること。ちゃんと、仕事で社会に貢献すること。あとは…私のことが好きでたまらない男を見つけること。まだあるけど?雄介は?」

「俺の夢は、柔軟剤になること」

突拍子もないことを言う雄介に「何それ?」とさえ子は怪訝な顔を向けるも、「必要でしょ?柔軟剤。無いと、ガサガサしちゃうでしょ世界は」と、堂々と答える。
「あ…コーヒーもさあ、柔軟剤みたいなところあるよね」

最初はすごくまっとうなことを言う人だなあと、だから真剣に答えた部分もあったけれど、まさか超変化球が飛んできて思わず声を出して笑うさえ子だったが、キリッと表情を変え、ひとくちコーヒーを飲んで「ありがとう。ごちそうさま」と言って颯爽と立ち去って行く。

5分くらいのこのシーン。Netflixシリーズの「さよならのつづき」というドラマのワンシーンだ。
偶然、初めて出会った2人にしては奇妙な会話なんだけれど、2人がそれぞれに真剣に生きる様子がガツンガツンと伝わってきて、何度観てもいいなあと思う。

まずさえ子の夢。
仕事に対する熱意と、人間として、女性として、誠実に、ちゃんと納得して生きていきたい、いや生きていくという並々ならぬ思いがグッサグッサ刺さる。その思いに圧倒されたというのもあるのだけれど、何より、それをちゃんと言語化できているところに敬意を抱く。

確かにさえ子という人物は、信念を持つ強い女性であり、自分の気持ちをはっきりと言えるタイプだ。だけど、初対面の男性に、しかもそんなことを聞かれるはずのないタイミングで、迷わず凛と、答えられるものだろうか。
「えっあっ、夢ですか。夢?夢か、ああ夢ですよね。夢かあ、何だろ、夢、夢…」と、私だったら挙動不審になる。正直、話し下手な自分ともなると、答えを決めていたって、はっきりと答えられるかどうか自信がない。初対面とあれば、こんな夢を言って良いのだろうか、引かれるかな、そもそも掘り下げられても困るしなあ、ていうか誰よ?なんで夢聞いてくんのよ?と、懐疑的になって、当たり障りのない感じで答えることになると思う。

だけどさえ子は、問われたことに対して自分の気持ちに誠実に向き合い、心にあることの1つ1つを力強く言葉にする。その潔さは、どうなりたいか、何をやり遂げたいか、そういう、多くの人がうやのむやにしそうなことを自分でちゃんと考えて、ちゃんと言葉にしたことがある人のアンサーだった。じゃなければあんなにストレートに、すらすらと答えられるわけがなかろう。
その1つを取ってみても、行動力に溢れ、何事も自分で手繰り寄せて生きているんだろうなあと、もう神々しく見えてくる。かっこいい。

そして、雄介の夢。
さえ子の、具体的で、現実的な夢の後に放り込まれた「柔軟剤になりたい」という夢は、視聴者にさえ子と同じリアクションをさせたのではないだろうかと思う。どこか子どもっぽさを感じるようなその夢に、「ちょっとちょっと、あなた大人なんだからもう少し真面目に考えな?ふわふわしてちゃいけないよ」と言いたくなってしまう。実際私も、俺の夢は柔軟剤になることだと聞いた瞬間、思わず「え..えぇ…?」と、ちょっと笑ってしまった。
だけどその真意は、人の心を柔らかくほぐし、引いてはこの世界を柔らかく、摩擦のない場所にするという、大きく深い思いだった。

そのために、どこまでも明るく、どこまでも大らかに、困っている人には手を差し伸べ、分かち合い、一緒に笑う。自分はそう生きていくという宣言だったのだ。ちゃんと、地に足がついた答えだったのだ。

さえ子とのやり取りはまさに、ガサガサの洋服を柔軟剤でふわふわにした場面だ。
メッタンメッタンにされ、悔しさ、情けなさでいっぱいだったさえ子に、捉え方を変換させたのだ。心だけではなく、頭までも柔らかくしたのだ。さすが柔軟剤だ。

コーヒーの力、と言うよりも、雄介という人間の力を感じずにはいられない。


「夢を決める」というのは、つまるところ「自分は何のために生きるのか」ということなのだと思う。その夢のために、毎日どう生きるのか、「理想の自分を決める」ということなのだ。

人の心をふわふわに、そして世界をふわふわにするという夢に向かって、毎日こういう自分で生きるぞと理想の自分を決める。それを日々、積み重ねていく。雄介の生き方は、それをちゃんと実現している人の生き方だなあと思った。笑ってしまったことを謹んでお詫びしたい。

それはそうとして、夢の決め方、理想の自分の決め方というのは、「夢からの理想の自分」というパターンと、「理想の自分からの夢」、というパターンがあるように思う。それはたぶん人それぞれで、何を大切な価値としているかで変わってくると思う。

私は後者のパターンで、日々の理想の自分、ありたい自分というのに比重が大きい。理想の自分は答えられるけれど、じゃあ夢は?と聞かれたらもごもごしてしまう。ここに来てまさか、夢がない自分を認識することになろうとは。
せっかくの機会だから、ここはひとつ、理想の自分を書き出すことで、雄介みたいな、そう来るか的な夢を決めてみたい。

・つまることにもつまらぬことにもイライラせず、理不尽さはむしろ笑い飛ばし水に流す。
・元気で明るく賑やかで、何が起きても無傷無風とどっしり鎮座し、それでいて軽やかな躍動感を持つ。
・他人の嬉しい出来事に、ほとんど食い気味に手を叩いて一緒に喜び、他人の悲しい出来事に、黙って耳を傾け同情する。
・困っている人には躊躇なく声をかけ、役目が終わったら身を翻して笑顔で去って行く。

もっと考えればまだまだ出てくるが、この辺にしておこう。
まとめてみると、自分を明るく穏やかに保つことで、いつも人の心を明るくできる人でいる、いたいということなんだと思う。

さてこの理想の自分を、雄介みたく (実際こういう思考だったのかはわからないが) 「いつも人の心を柔らかくする=いつも人の心をふわふわに、世界をふわふわに」という感じでかわいらしく抽象化して、「柔軟剤になる」という夢に着地したい。

まずは心が明るいと言える状態を、思い浮かぶだけいろいろ考えてみたい。
嬉しい、楽しい、希望、勇気、気合い、清々しい、自信、尊敬、感謝、愛、心地良い…

ここまで書いて、突如「あったかく」という言葉が浮かんでハッとしたのだが、「明るく」よりも、「あったかく」の方がしっくりきている自分がいる。
キラキラぴかぴかよりは、ホカホカぽかぽかの方がどうやら落ち着く。続いていく人生に、より欠かせない感が漂ってるのもいい。

いつも人の心をあったかくできる人でいる。
声に出して言ってみると、やっぱりこっちの方がぴったりとした感じがするし、この人の方がもっと好きだ。

ちょっと見えてきた気がするけれど、「あったかく」をもっとオノマトペで表してみたい。
ほかほか、ほっかほか、ぽかぽか、ぬくぬく、ほやほや、ほくほく…

人の心をほやほやに、世界をほやほやに。
ほやほやという言葉自体は好きだ。生まれたてほやほやの赤ちゃん、焼きたてほやほやのパンなどと言ったりするが、柔らかさも同時に押し寄せてきてたまらなくなる。
だけどなんだろう、ほやほやが持つほやほや感はあまりに短く、寂しさ込みみたいなところがある。一瞬だからこそ輝く、というのはあるが、一発屋だ、今だけの人だ、みたいな、すぐ消えそうなニュアンスが含まれるのは夢としてちょっと頼りない。

それで言うと、ほかほかも同じだろうか。
炊飯器の蓋を開けた瞬間のほかほか〜。あれはそう長くは続かない。ごはんの匂いと、今まさにおいしいです!と聞こえてきそうな湯気は、幻だったかのように儚い。食べ頃の短さに寂しい気持ちにもなるし、やっぱりほやほやと同じで持続性に欠けるところが気掛かりだ。柔軟剤なんて、使って洗えばいつもいつでもふわふわの、ふっかふかだ。
気になって辞書で調べたところ、ほかほかとは「快い熱気が伝わってきて、からだがあたたまる様子」とある。なるほど、そもそも解釈がずれていた。ほかほかはあくまで体の表面で感じるあたたかさを表しているのではないか。体の中というか、心をあたたかくしたいという表現には向かなそうだし、「様子」とあるから、そう見えるというだけで、体が実際にあたたまっているわけではないのかもしれない。

そうなってくると、ぬくぬく、ぽかぽかあたりが良い気がしてくる。
まず、どちらもあたたかさが続いていくような、ずーっと感があって安心するし、芯まであたたかそうな雰囲気がある。
あとは意味だけれど、ぬくぬくは「ほどよく体があたたまって快い状態」、ぼかぼかは「からだの中まで快い暖かさが感じられる様子」と辞書にあった。音の印象的にぽかぽかかなあなんて思っていたけれど、ぽかぽかはどうやらほかほか寄りだ。そう見えるという感が強い。
それに比べてぬくぬくは、「状態」とあるから、たった今そうであるという間違いなくあたたかいですよ感が伺える。「ほどよく」というのも、行き過ぎず行かな過ぎず、心地良さがじわじわ伝わってきて好きだ。
これなら私の思いにマッチングしているのではないだろうか。

人の心をぬくぬくに、世界をぬくぬくに。
わりとちゃんとしっくりきている自分がいて驚いた。ぬくぬくという言葉は大好きだが、ちょっと季節もの感があってどうかなあと思っていたからだ。秋冬にはどうぞどうぞと迎え入れてもらえるけれど、春夏にはちょっとごめんなさいねと敬遠される。こういうやるせなさを秘めながら宣言して良いものか。

だがよく考えてみると、みんなあたたかさが大好きだ。
冬にはハワイに行き、旅行と言えばタイやグアムなどのビーチリゾートが人気だし、寒い県や国に行くとしてもあたたかい時期を選ぶ。そう、人はあたたかさを本能的に求めるものなのだ。あたたかさは正義なのだ。なんだか急に自信が出てきた。

最後は、「ぬくぬく」から連想できるものを考えたい。
パッと思い浮かんだのは毛布だけれど、これはあまりに秋冬に寄っている。床暖、これも季節感が前のめりだ。
あっおでんはどうだろう?そういえばコンビニで、お家はそれぞれあれど、同じ箱で身を寄せ合い、ぬくぬくしているぞ。この世界の理想をそのままミニチュアにしたようではないか。おでんか?おでんで決まりか?
と、冷静になったら、やっぱりおでんも季節に引っ張られていることに気が付いた。いやそもそも、私の思考が今に引っ張られすぎなのだ。(記事執筆時、1月)

今さらだが、ふわふわって最強じゃないか。
季節の縛りもないし、みんなふわふわが好きだ。だから柔軟剤が大好きだ。

柔軟剤の特徴を考えてみると、
・みんな好き
・無いと困る
・1年通して対応できる
・身近な存在
こんなところだろうか。

これらを網羅して且つ、ぬくぬくというワードに欠かせない、「心があたたまる」をクリアするもの。「必要でしょ?無いと、ひんやりしちゃうでしょ世界は」と言えるもの。

あ…
これはもしかして、お味噌汁?

お味噌汁を嫌いな人はいないし、無いと困る…ほどではなくともあったら嬉しい。食卓にホッと安心感を与え、季節関係なくいつだってそこに居てくれる。飲めば誰でもはぁぁぁぁ…と落ち着き、じわじわと心まであたたまる。

私は子どもの頃、自分が覚えている限りだと、お味噌汁は主に具だけを食べる子どもだった。食べることが大好きだから、飲み物でお腹が膨れるのを嫌がってそうしていたところもあるし、お味噌汁を飲もうとするタイミングはすでに冷めている時で、飲む気がしなかったというのもある。それくらい、私にとっては脇役だった。
だけど大人になって、まずお味噌汁をずずっと飲む大人の気持ちがわかった。だしの香りと、じわ〜っと広がっていくお味噌のやさしさ。体の隅々にまで行き渡り、その瞬間は何もかも全肯定できるような安らぎに満ちている。
お味噌汁には、どんなにおいしいお米にもおかずにも敵わないあたたかさがあるのだ。忙しなく生きる中で、みんな自然と安穏を求めているのだ。お味噌汁という存在に。
今では私も、具より汁を欲して飲むくらい、お味噌の汁が大好きだ。

どうやら着地した。
期せずして、お味噌汁に自分なりのストーリーもあったから、より華麗な着地ではなかろうか。

「私の夢は、お味噌汁になること」
「必要でしょ?お味噌汁。無いと、ひんやりしちゃうでしょ世界は」

おぉ…感慨深い…
柔軟剤ほどのそう来るか感は無いかもしれないけれど、ほとんど初めて、ちゃんと自分の夢を考えられたこと、そしてちゃんと決められたことにただただ嬉しさが込み上げる。
まさか「私、お味噌汁になる」と言うとは思ってもみなかったが、決めてしまえば不思議なもので馴染んでくる。

お味噌汁になるという夢を手にした私は、きっとこれから目の前にするお味噌汁たちに敬意を払い、同志のような気持ちでしっかりと鑑賞するだろう。
なるほどなるほど、身近なものに例えた夢を掲げれば、私なんぞの想像では及ばないくらいのスピードで夢に近付くものなのかもしれないな、と思う。

私の夢は、お味噌汁になることです。
真剣に長い道のりを歩いてきたが、そう発表する機会が果たして来るのかどうか。

まいたけ

何はともあれ、こんな夢の表現があってもいいんだなあと、新しい世界に飛び出せた感じがして嬉しい。

プリーズ シェア!
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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

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