これ、ちょっとでもわかってくれる人いたりしますか…?
私、木曜日が好きなんです。正確に言うと、木曜日の仕事を始める時。
よし!今日と、明日もう1日頑張れば休みだ!
あと2日頑張らなきゃいけないのに、そうつぶやく瞬間がものすごくわくわくして。
どうやら変わっているらしいことには気付いていたものの、なんでだろう?って考えたことがなかったから、なんでだろう?って考えてみたんです。
それはやっぱり、木曜日が、金曜日のための木曜日だから。
金曜日の自分に、より勢いをつけてくれる木曜日だから。
たぶん木曜日って、うわー長いー明日もあるしー今日が金曜日だったらなーみたいな気持ちになりやすいと思うんだけれど、いや実際、私もそう思ってたんだけれど。
でも、最終日を良い出来栄えにするための準備の日って思ったら、なんだか気合いが入る。
良い週末は、金曜日の総合点に懸かっていて、それは木曜日にどれだけ準備できたかに懸かっている。そう思うとなんだか奮い立ってきて、週後半の疲れなんて忘れてしまう。
「何かのため」っていうのが、すごい原動力になっている実感があって、その時間そのものに充実感があるなあって。
それをひたすら続けていくことが、生きることなんだろうなという気がします。
今手を動かしていることも何かの準備で、今決断したことも何かのための準備。何かに繋がっている。
繋がっているし、繋がっていると思うと、どんなちっぽけなことも真剣にやれるような。つまり真剣に生きられるような、そんな気持ちがしてくる。
だからもし、こんなことやってても無駄だって思うことがあるとしたら、それは「何かに繋がっているんだ」って信じられていない時かなあと思います。
いずれ海外に住む、っていうのは決まっているけれど、いつになるかは決まってない。1年後かもしれないし、5年後かもしれない。
そんな不確定な状況で取り組む英語学習って、今やっても無駄かなあ、他に優先しなきゃいけないことがあるんじゃないかなあ、もしかしたら住まなくなるかもしれないし…って、どんどん後ろ向きになる。
挙げ句、じゃあ何のためにやってるのこれ?って、えっ無駄じゃない?ってどうでもよくなってくる。(これ、私です)
本当は、長い目で見たら、どんな小さなこともいつかの、何かの一部になる。
あ!この時のために必要なことだったんだって、あとから感謝することになったり。
直接は繋がっていないように見えることでも、実はちゃんと影響を与えてる。
力無く生きる人も、力強く生きられるように、きっとできてる。
だから頑張ろう、繋がっていくことを信じて。
木曜日が好きな理由なんて、何でもないことのように見える。そんなの考えてなんか意味ある?って。
だけど、こうやって答えを出して、大事なことに気付いたり、再確認したりするために必要なことだったんだなあって思うと、時に鬱陶しくなる感情も、1つ1つ大切にしなければと思います。