イライラして過ごす時間を減らしたい。
でも自分で自分の機嫌を取るって難しい。
私自身が日々感じていることです。
目的は違えど、限りある人生。なるべく機嫌良く過ごしたいと思いますよね。
そのために、どんな考え方が必要なのか、どう頑張れば良いのか。
不機嫌な自分に悩む人へ、1つでも実践してみようと思えるものが見つかれば嬉しいです。
上機嫌とは?
そもそも「機嫌」というのは、辞書によると、「表情・態度に現れている、その人の快・不快の状態のこと」を指すようです。「上機嫌」というのは、事実、自分の状態がものすごく快であり、側から見ても機嫌が良く見える状態ということになります。
要は、喜びという感情に満たされている。自分にとっても、周りにとっても好ましい状態です。
ところが、現実は上機嫌を保つのが難しい。
不機嫌全開になったり、腹の中ではもうー!と苛立っているけれど、どうにか機嫌が悪くないふりをしてみたり、そんなことも多いですよね。
上機嫌で過ごしたいのに、そうできない。
それはなぜなんでしょうか?
なぜ不機嫌になってしまうのか?

基本的に、自分の思い通りにいっていないからだと思います。
失敗、挫折、理不尽、葛藤、体調不良。などなど。
世の中には、自分にとって不都合なことがたくさん起こります。
不都合があるから不機嫌になる。これはある意味当たり前のことです。
だけど、生きていたら不都合はなくならない。好都合ばかりの人生を望みたくなるけれど、たぶんそれは天気を操るのと同じくらい無理なことですよね。
であれば、不都合が起きても、全然思い通りにならなくても、上機嫌でいるしかない。上機嫌でいると決めるしかない。
だけど、ただ上機嫌でいるぞ!と思うだけじゃ難しい。
大切なのは、不都合が起きても上機嫌を保つコツを知っておくこと。
そして同時に、そもそもの基本姿勢を上機嫌に設定しておければ、かなり不機嫌な自分を遠ざけられるはず。

上機嫌の時、人は結構寛大でいられるもので、メーターが不機嫌まで振り切ることってなかなかないと思うんです。
自分の機嫌は自分で取る。
振り回されず、自由に生きるために大切なことです。
不都合が起きても上機嫌を保つコツ
「運を貯められた」と考える
不都合があった時、自分は運が悪いと思ったり、逆に好都合があった時、自分は運が良いと思ったりすることがありますよね。運が良い・悪いって、ごく自然に浮かぶものだと思います。
が、そうではなく、「運を使う・貯める」という考え方ができたら、すごくラクになれるなあと。
つまり、運が悪かったんじゃなくて、「運を貯められたんだ」と考えるということです。これはある本に教わりました。
運は<いい>か<悪い>で表現するものじゃないんですよ。<使う><貯める>で表現するものなんです。
運転者 未来を変える過去からの使者 / 喜多川泰
先に<貯める>があって、ある程度貯まったら<使う>ができる。(中略)
周囲から<運がいい>と思われている人は、貯まったから使っただけです。
例えば、
仕事で一生懸命準備をして商談に臨んだけど、契約が取れなかった。
電車で席を譲ったけど、ピシャッと断られた。
友だちに誕生日プレゼントを贈ったけど、自分の誕生日にはおめでとうの一言もなかった。
子どもが食べたいと言ったから作ったけど、やっぱりいらないと言われた。
結果だけを見れば不都合で、文句を吐き捨ててしまいたくなるような状況だけれど、ここで助けてくれるのが、運を貯められたんだという考え方。
誰かの幸せのために、自分の時間を使った。でも、報われなかった。
それは、報われなかったのではなく、「いつか」報われる時のために貯めただけ。損をしたんじゃない。そう考えることで、ガラッと好都合に変わりませんか?不機嫌な自分は出てこなくなるんです。

そうやって日々上機嫌を保ちながら生きることが、周りの人に、広く見ればこの世界にとって、良い影響をもたらすための努力になるので、どんどん貯まる一方なんですよね。
長い目で見たら、報われない努力なんてありません。
運転者 未来を変える過去からの使者 / 喜多川泰
あまりにも短い期間の努力で結果が出ることを期待しすぎているだけです。
私はこの考え方にすごく救われたというか、何が起きてもプラスなんだと、この瞬間から全てが上向いているような感覚を覚えます。
人生には、例えば全然関係ないケンカに巻き込まれるとか、濡れ衣を着せられるとか、不運としか呼べないような不都合もある。
けれども、そこでも不機嫌な自分を登場させず、運を貯めたぞ、痛みと引き換えに。そんなふうに考えられたら、もう無敵な気がします。
基本姿勢を上機嫌に設定するコツ
1つ1つに没頭すること
没頭とは、「他のことを忘れて、そのことに熱中する」という意味。
心が集中していて、ただただ目の前のことを楽しんでいる状態なので、余計な思考が入る隙間がありません。
例えば仕事や家事など、やりたいやりたくない関係なしに、やらなければいけないこと=義務感でやること というのは、気持ちが乗らずイライラしがち。
それは結局、手を動かしながら、全然別のことを考えてしまっているから、機嫌に影響が出る。
このお礼メールを早く送って、会議に出なきゃ。ていうか忙しいんだからお礼メールなんて誰か送っといてくれよ。
トイレ掃除の後、洗濯物を干して、食器を洗って、夕飯の献立どうしよう… もうやることありすぎ!なんで私ばっかり!
そういうことこそ、忙しい時こそ、1つ1つ心を置いて、丁寧に向き合う。
先程のドライヤーの話でいえば、「まだ髪が濡れている状態」のうちから「髪が乾いている未来」のことしか考えてない。でも現実は、まだ髪が濡れているからイラッとする。(中略)
丁寧道 ストレスから自由になれる最高メソッド / 武田双雲
人間のイラつきや落ち込みは、こんなふうに、「いま」と「未来」、「現実」と「何か到達したい地点」が矛盾を起こしていることが原因になっています。
結局、今この瞬間に出来ることは、目の前のことだけ。であれば、一心不乱に、着実に終わらせていく。

そしてそのうち、やりたくなかった仕事や家事も、いつの間にか「やりたいこと」に近付いていた!という具合いに格上げしていくんではないでしょうか。
自分にも相手にも、良い言葉を使うこと
わかりやすいところで言うと、「できる」「できない」という言葉。
できる!と口にしたことは上手くいき、できない!と口にしたことは上手くいかない。100%そうではないにしても、そういうことってありますよね。
要は、良い言葉を発すると、頑張る力がぐーんと増える。私は実感として、やってやるぞー!みたいな、活き活きとアクセルを踏める感じがあるなあと。
それは結局、自分の心が元気になる=機嫌良く取り組める から、結果的に上手くいくということなんだと思います。
もし上手くいかなかったとしても、やれることはやった!という、プロセスへの充実感が湧いて、それはそれで良かったんだと素直に思える。
相手に対する言葉も同じ。
できるよ!って声をかけている時、自分の心もきっとできる!って上向くし、できないんじゃない?って声をかけている時、歩みを止めているようでもやもやする。
後で、背中を押してあげれば良かった…と反省したり。悪い言葉って、それくらい自分の心にも相手の心にも影を落とすものなんだと思います。
心は言葉を通して形になり、そこに感情が乗ることによって実現に向けて走りはじめます。(中略)
言葉は現実化する 人生は、たった“ひと言”から動きはじめる / 永松茂久
言葉は自分に対しての一種の自己暗示です。とくに相手に向けて話している自分の言葉は、相手に集中しているぶん、ノーガードで自分の脳に入ってきます。
あなたの言葉を一番聞いているのは、ほかならぬあなた自身の耳なのです。

ありがとう。大丈夫。楽しもう。
そんな、心が元気になる言葉で日々を積み重ねていけたらいいなと思います。
SNSを見ないこと
すきま時間、暇つぶしはSNSが当たり前。今や日常の一部、むしろ大半を占めているという人も多いはず。
だけど、周りを見れば見るほど置いて行かれているような、孤立しているような気持ちになる。それに焦りを感じるし、自分がとても劣っているような気になったりもする。繋がれた喜びは一時で、ざわつきがいつまでも尾を引いてしまう。
そもそも、否定的な言葉、思いやりに欠ける言葉が多く出回っているので、その内容が自分に関係あるないに関わらず、心が陰る結果になるような気がします。
それならば、SNSを見る代わりに、興味がある本をさっと読み始めてしまう。
案外、スッと世界に入り込めたり、ある一文にハッと心が留まったりする。
手軽さは同じなのに、そこに残るものは180度違う。

知って良くなることならいいけれど、知った結果悪い方に転ぶなら、遠ざけるのが健全だなと思います。
いつだって上機嫌を選んで生きる

人間は、誰かに、情報に触れるたび、いろんな感情が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返しています。それはもう勝手に湧き上がるもので、自然なこと。
だけどいつも上機嫌な人は、起こったことに対して湧いた感情を、良い方に持っていくコツを知っている。
むしろ悪い方に行かないように、最初から手を打っている。もしくは悪い方に行ったとしても、すぐに打ち消すやり方で保っている。
心の方向性は、自分で選べるんですよね。それは特別な能力が必要なわけではなく、みんな平等。地道に、繰り返し繰り返しで馴染ませていくものだと思います。

不都合が起きたって、それに染まらない自分で生きる。
自由という名の「幸せ」がそこにはある気がします。



