わたしの使命。

鉛筆で塗られた紙

30代に入ったタイミングだった。これが使命だと感じたのは。



その時、私はごくごく普通の会社員。
日々の業務は、お客さんとのメール、発送作業、スケジュール管理。
ルーティン好き&サポート気質の私にはぴったりの仕事で、とても楽しく働いていた。


もうすぐ5年が経とうとしていた頃。
事業を整える方針となり、あるテーマを掘り下げるために、「書くこと」が日常になった。

これってどういうことだろう?
なぜ?
何のために?
どう伝える?

文字がびっしり並ぶA4のコピー用紙は、気付けば何百枚にもなり、狭いデスクの棚を占領していった。


人生初の掘り下げ作業にやりがいを感じた私は、業務外の時間も一心不乱に書き続け、数ヶ月が経ったある日。突然、視界がパァーっと開けたような感覚が訪れた。

頭が冴えて、試験問題の解答がどんどん頭に浮かんでくるような、なんかわかる!書けるぞ!みたいな。
お腹から口までの通り道に、何のつっかえもなく、ザザーっと風が抜けていくような。


その、全てが1つに繋がったような感覚は、もう仕事云々を超え、これが私の使命かもしれない…と思った。



どちらかと言えば、使命とか運命なんて、考えない人間だった。
あってもなくても関係ない。とりあえず生きないとやろ、みたいな、あえて心に水をぶっかけるような人間だった。


そんな私が、なぜ「使命」などと思ったのか。
言葉にするのはちょっと照れるのだけれど、「生まれ変われる」気がしたから。



書くことに出会うまでの私は、自分のことを知らなすぎた。自分の感情や意見を言語化できず、言ってみたら子どもだった。
だからか、人の心に寄り添うことができなかった。
心と言葉がちぐはぐな人間だったなあとも思う。


当然、自分を好きになれず、いつも生きづらさを感じていたのだけれど、それはこういう愚かさを見て見ぬふりで生きてきた代償だったんだ、と。見えなかったんじゃなく、見ようとしていなかったんだ、と、やっとわかった。



もっと早く見つけていたら、心に寄り添い、心を尽くせた人がもっとたくさんいただろうと思うけれど、転機はきっと必要なタイミングで来ていると思う。

私はこの道を信じる。
善く生きるために、書く。
書くために、この命を使う。


なんて、かっこつけて宣言しているけれど、シンプルに、とても嬉しいんです。
何者でもなかったのに、尊い役目をもらえて。
変われると、強く信じられていることも。
本当は、使命とか運命を信じている人を、私はうらやましいと思っていたのかもしれません。



あなたはもう使命を見つけていますか?

自分という人間に磨きをかけ、さらにそれで誰かの役に立てるなら、たぶんそれが使命なんだと私は思う。

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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

いつだって心穏やかな人でいたい。生きることに、シアワセな気持ちで取り組みたい。そんなお仲間を見つけられたら嬉しいです...!

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