7時過ぎに起床。寝坊上等で1時に寝たわりには優秀。日曜日側も「よくやった」とうなずいている。
そういえば、寝際に小さい人が「そんなんじゃ飲めないから〜飲めんけぇそれ。飲めないよ!」と寝言を超えた寝言を陽気に発し、思わず布団をかぶって耐えたのだが、何を飲もうとしていたのだろう。そんなんじゃなければ飲めた何か。「そんなんじゃ」も案外いろいろある。味か、器か、心持ちか。
10時前に、マンションの排水管掃除に業者の方々がぞろぞろ来た。年に一度、キッチンと浴室、洗濯機の排水管をピカピカにしてくれるのだが、我が家の洗濯機はどうやらかさ上げ台が低く、部品が取り外せないということで、毎年ピカピカ権を逃している。今回で5回目か。1年前に洗濯機が不調になり、修理してもらうついでにお掃除をしてくれた方には、「もう少し遅かったら詰まり切っていた」と、笑顔をこぼしながら目は本気で宣告され、背中を丸めながら気持ちはしゃんと頭を立てた。あの時、確かに「もう少し高さが出るかさ上げ台を設置しなければ」と意気込んだのに、設置すべきは台ではなく私の段取りだった。作業中、リビングに家族寄り合い、おのおの勝手に人生を進めていると、浴室の方から「確認に使うだけなので写真を1枚撮らせてください!」と撮影許可の申請が入る。「はーいお願いします!」と声を張ると、小さい人が「何を写真撮るん?」とノートを広げながらきょとんとする。「お掃除した場所じゃない?たぶんBefore Afterの写真だよね?」「うん、掃除しましたって証明のためかな」と、大きい人々でそれっぽくまとめてみたら、「…ふーん、私たちとじゃないよね?」と、「ピカピカ記念にハイチーズ」の可能性を投げてきて腹を抱える。「えっ掃除中に突然?一緒に写真を撮ろうって?それ面白いね!!」とリビングが沸いて、キッチンと浴室は無事磨かれた。来年こそは安心をつかみ取ろうと、「あと何cmくらい高ければできますかね?」と脱衣所へひょっこりすると、「あと5cmくらいですかね〜」とにこにこ応じてくださり有難い。小さい人は「バイバーイ」と生活の救世主たちを見送り、通常の日曜日が帰ってくる。
今日は1日ゆるっとの予定。私はヨガで内側と対話し、大きい人は人生と対話し、小さい人はミニオンと対話する。対話相手の平和さは断トツで小さい人だが、専属パートナーがパソコンからiPadに変わったばかりで、意思疎通が潔くもたついており「うぇんうぇん」する。
お昼はプリキュアのカレーライスと動物ポテト。顔のパーツをぎゅっと寄せ、ようやく自分を取り戻した小さい人と一緒に、大きい人の情緒の燃料を確保しに行く。小さい人は横断歩道を渡りながら白いところだけをぴょんぴょん踏んで、「子どもってさ、こういう白いところだけ踏むよね」と、急に自分を外から眺める。小さいわりに視点の高さはスカイツリーだ。アーモンドチョコは、24時間現代を支える青の彼のところにあった。「ついで」という便利な言葉も、そこにあった。大きい人のために勇んだ旅だったけれど、救われたのは小さい人と私だった。一緒に連れて帰ってきた黒糖味さつまいもチップスに支えられ、「ついで」に、超えられた。
それはそうと、窓際の黒爪ザラゴーサが誰にも何も言わずに進化している。にょきっと伸びた芽がさらにちょっと背伸びして、「もう一段いけます」と先が二股になっている。「これ、花開きそうじゃない?!」と、小さい人と未確定の未来を先に喜ぶ。我が家はだいたい、可能性の匂いで祝う。
黙々と英気を養った大きい人が巣から飛んで来て、どうやら燃えているらしい。人生に。その火の粉をかぶった小さい人は、駆け足でノートを引っ張り出し漢字を書き始めたけれど、どうやらうまくいかず数分で「疲れたー!もうやめたいー!でも書きたい…」とわんわん涙をこぼす。情熱を燃やし続けるのは、たぶん「やめたい」と言うより難しい。
それにしても、普段、テンションは遊園地。でも情緒はメリーゴーランド。活気がいいわりに安定している人なので、一日に何度も涙が落ちるのはちょっとした異変だ。私もその乱気流にきっちり巻き込まれ、今日は「怒」の国に一時入国。でもだからこそ昼間の、あの笑いが、今日の一番星だった。
3/1 (日) 情熱を燃やし続けるのは、たぶん「やめたい」と言うより難しい。

