自分が嫌いな人が、自分のことを好きになる方法。

自分を抱きしめる男性

自分が嫌い。好きになれない。でも本当は好きになりたい。

10代20代と、長らく自分に嫌気がさしまくっていた私も、人生経験を積みながらいろんなことを学ぶうちに、少しずつ良く変わってきたように思います。

自分が嫌いな原因、好きになるためにはどうしたら良いのか。変わろうと奮闘する同志のみなさんへ、まとめてみました。

キラッとする何かを見つけてもらえたら嬉しいです。

もくじ

自分が嫌いなのはなぜなんだろう?

性格に難あり

自己中心的、飽きっぽい、態度が大きい、言い訳達者、人の気持ちを考えられない、すぐ怒る。などなど。
性格は言動のベースになっているため、あらゆる場面での人間関係に直接絡んできます。
「人は共に生きる」という前提を忘れているような振る舞いは、当然関係性を悪くしてしまうので、結果的に自分嫌いになる大きな理由になると思います。

能力不足

継続力がない、要領が悪い、同じ間違いを繰り返す、想像力に乏しい、運動神経が悪い。などなど。
主に仕事の中で「成果が出せない」「トラブルが多い」など、失敗という現実を前にした時に、自分の能力が低いことに思い悩んでしまいます。
そしてそれは、自分はダメだ、何をやってもうまくできない、と、「価値のない人間」というレッテルを貼って生きることになり、ますます自己嫌悪に陥ります。

容姿に自信が持てない

肌荒れ体質、太っている、猫背、顔のパーツにコンプレックスがある。などなど。
なかなか隠すことが難しいものだったりするので、いつでもどこでも目についてしまう。相手にもダイレクトに伝わってしまう。
自分にとって「嫌なもの」をまといながら生きることになるので、心はどんどん闇化していきます。

自分が嫌いになった根本的な原因

自分が嫌いな男性

思い描いているものと現実が違うこと

本当は、明るくて優しくて、ごめんねって素直に言える自分でありたいのにそうじゃない。
本当は、なんでもコツコツ一生懸命やって、信頼関係を築いて、うまく進めていきたいのにそうできない。
本当は、色白で、肌が綺麗で、すらっとした美しい人になりたいのにそうじゃない。

そういう、ありたい自分とのギャップ、理想の人生とのギャップが、自己嫌悪に繋がっていく。
特に、もともと自分に厳しいタイプの人、完璧主義だったり、真面目すぎたり、責任感が強かったりする人は、求めるもののレベルが高いので、より自分を責めてしまう。

まいたけ

そして、自分で痛いほどわかっていることを「あなたって〇〇だよね」と、周りに念を押すように言われることや、無自覚だったけど、誰かに言われた言葉で表面化し、さらに刷り込まれていくというのもあるかもしれません。

「私」の存在を大事にできなかった家庭環境

人は赤ちゃんとしてこの世に生まれ出て、育ててもらう過程の中で、大事な心を学ぶそうなんです。「私」と「私たち」という心です。

あらゆる欲求を親に、または周りの大人に叶えてもらい、「私」という存在を認めてもらう。そうやって大事にされることで満たされ、私自身が「私」を認められるようになる。
そこからその大人たちに対しての信頼感や絆が育まれ、「私たち」というその繋がりに喜びを感じることで、相手のことも大事にできるようになる。

つまり、人は大きく、「私」を大事にする=自分らしく生きる ということと、「私たち」を大事にする=周りと共に仲よく生きる という2つの心を育まなければ、ちゃんと自分を好きになれないし、相手も好きになれないということです。

つまり、「私は私」の心が充実してくる中で周囲他者への関心が高まり、その周囲他者との関係が生まれ、そこに「私は私たち」の心が立ち現れてくる一端があります。
他方で、「私は私たち」の心が次第に充実してくると、そこでの経験 (認められている、肯定されているという経験) が「私は私」の心に取り込まれて、自己肯定感や意欲がさらに強められていくというように、両者はお互いに強め合う面ももっています。

関係の中で人は生きる 「接面」の人間学に向けて / 鯨岡峻

どちらかだけじゃいけなくて、どっちもあって人は自分をすきになれるし、相手を好きになれる。つまりこの世界を好きになれる。

だけど、いろいろな事情があって、「私」を認められないような環境で育ってしまい、心はずーっと満たされない。自分は価値がないように思えてしまう。それが根深いから、ずーっと自分が嫌い。当然、周りの人たちのことも好きになりきれない。そんな悲しい事実があるのだと思います。

まいたけ

「私」を認めること、ここに居ていいんだと価値を感じることが、自分を好きになるのに欠けてはいけないことなんですね。

自分を嫌いな状態だと、この世界はどんどん暗く厳しくなる

自分が満たされている状態だと、相手に優しくしてあげられる。
自分が幸せな気持ちでいっぱいの時、相手の幸せも願ってあげられる。むしろ、幸せの手助けをしてあげたいとさえ思う。

反対に、
自分が不満の状態だと、相手をきつく否定してしまう。
自分が不幸せな気持ちの時、相手の幸せを願えない。むしろ、あなただけ幸せになるなんて認めない、あなたも不幸であればいいとさえ思う。

そういうことってありますよね。自分が嫌いという状態は、もちろん後者。

悪い状態だから、相手に与えるものも悪いものになってしまう。そんな扱いを受ければ、相手も当然近寄れないし、孤立していく一方。自分の生きる世界に明るさが見えてきません。

まいたけ

好転させていくには、良いものを投げなければいけないんです。

自分が嫌いな人が、自分を好きになる方法

自分の心と向き合う女性

それは、人の役に立つこと。つまり、人に親切にするということです。

ここまでお伝えしている通り、嫌いというのは、とにかく自分を否定的に見ている、自分の存在を認めていない、受け入れていない、価値がないと思っているということ。
だから、自分で自分を「うんいいじゃん!」て、「私って価値あるじゃん!」と、まず認められるように動かないといけないんです。

赤ちゃんの頃に戻って、大事に大事に育て直してもらうことはできないし、かと言って、今いる周りの人たちに、私を認めて!大事にして!って言うのは、ただただ承認欲求をこじらせている自己中な人になってしまい、ますます敬遠されてしまいそう。

だからこそ、人に親切にするんです。

人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。(中略)
人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。(中略)
共同体、つまり他者に働きかけ、「わたしは誰かの役に立っている」と思えること。
他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。
そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

嫌われる勇気 / 岸見一郎,古賀史健

例えば、近くで誰かが転んだのを見て、躊躇なく声をかけに行った時。
頼まれてはいないけど、何かお手伝いします!と手をあげた時。

役に立てて嬉しいっていうのもあるし、相手が喜んでくれて嬉しいっていうのもあるけれど、それよりも、自分が自分に対して嬉しい。誇らしい。
あ、自分てこういう時動ける人間なんだ、とか、優しいところあるんだ、とか、なんか満たされた気持ちになる。心が元気になって、勇気が湧いてくる。

不思議なんだけれど、親切にされるよりも、自分が親切にした時の方が、ずっとずっと満ち足りた気持ちになる。しかも、その後も続く気がするんです。
だから、善いことをどんどんやっていけるし、結果的に善い人でいる時間が長い。つまり自分のことを好きになる可能性が高くなる。
そんな好循環が、親切にはあると思います。

どんなことも、刷り込んでいくとやがてそうなる

息を吸って進み出そうとする女性

最初はちょっとしたことで、そんなに気にも留めなかったかもしれない。小さな傷だったかもしれない。
だけどいろんなことが重なって、「そうかもしれない…」「いや、絶対そうなんだ」と思うようになる。
寝ても覚めても頭にあって、どんどん自分でそう刷り込んでいって、嫌いだ嫌いだって思い続けて、むしろ嫌いであることを望むかのような効果を発揮してしまう。

なんかこう、ニキビと一緒というか、忘れてるとあっという間に治るのに、意識するとどんどん膨らんだり赤くなったり、悪化しますよね。本当は治したいのに、やだなやだなって思い続けるから治らない。そんな感じです。

だから方向転換をする。人に親切にして、役に立つことで自分の価値を実感する機会をつくっていく。良いことを刷り込んでいく。

認められてこなかった、与えられてこなかったという事実があるのなら、そうやって与えることに躊躇するかもしれないし、戸惑いもあるかもしれません。
だけど結局人は、与えることで喜びを感じられるし、自分の存在に胸を張れる。そしてそれが巡り巡って自分に返ってくる。

まいたけ

与えるから、与えられる。
その法則に背中を押してもらいながら、私も日々、善い自分でいられるように精進しようと思います。

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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

いつだって心穏やかな人でいたい。生きることに、シアワセな気持ちで取り組みたい。そんなお仲間を見つけられたら嬉しいです...!

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