6/4 (木) 可能性を捨てたら、生活がスムーズになった。

日記

昨日は、小さい人の社会で担っている幹事の会があった。活動2回目。
初回から思ってはいたけれど、15人の個性がてんで輝いて、おもしろい。育てる者同士の枠を越え、個の存在として関われているところも、心強い。
のに、私は落ち込んでいた。せっかくの振りに、うまく答えられなかったからだ。14人分の目が一斉にこちらを見る。前触れなしに。それは、ピアノの発表会で舞台に立つよりも、心臓が騒ぐ。だから、人の顔を視界に入れられないし、目を逸らしてしまう。世界を広げるよりも、守る方を選んでいる。送迎の時は、「やほー!」と馴れ馴れしく交わせるのだから、もうそろそろ慣れたい。その矛盾に納得のいかなさを感じているのもなんとかしたい。殻、破れよ自分。
鏡を覗くと、久々の肌荒れで、こっちも騒がしい。幹事会で配布する資料に手を焼いたり、今後の活動に苦手な「営業要素」が絡んでいて思い詰めた挙句、ずば抜けたコミュ障のせいでへこみっぱなしだから、無理もない。できることならば、もう甲羅に入っていたい。なのに困ったことに、あの14人のことは、ちゃんと好きだ。
さて、ついに、エアロバイクが旅立った。
数年リビングに鎮座し、住人の運動管理よりも、小さい人の遊び相手として文句ひとつ言わずに働いてくれた。だけど最近は、小さい人の遊び方がダイナミックで、落ちたりぶつけたり悲劇が起きがちになったから、やっぱり、という話になった。当初は、「本を読みながら、動画を見ながら有酸素ができるなんて」と心をたかぶらせたけれど、私はHIITに、大きい人はチョコザップでの運動に収まってしまった。どうやら、己の足で大地を踏み、勝負したい組だった。
でも、いよいよさよならとなると、寂しい。惜しい。あまり使わずに処分することの罪悪感も、ある。だって、この者、実はめちゃめちゃ優秀なのだ。漕ぐ音はほぼ無音。ペダルの負荷はAmazon並みの取り揃え。家庭内エアロバイクとしては、ピッカピカの優等生なのだ。
だけど、いざスペースが空いたら、グリーンたちの世話焼きが好調で、小さい人と「自転車ないとめっちゃやりやすい!」と盛り上がる。やや申し訳なさは感じつつも、可能性を捨てたら、生活がスムーズになった。人生、何でも残しておけばいいというものではないらしい。

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この記事を書いた人

改善愛好家が、気付きや学びをもとに"より善く生きるコツ"を綴っています。
可笑しみのある人を目指しながら、未完成で進行中。

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