長らく好きなキャラクターを、改めて好きになる。

うさぎキャラになる女性

好きなキャラクターとして、私の中で不動なのはミッフィーちゃんだ。小学3〜4年生の頃には好きだなあと自覚していたのだけれど、実はミッフィーちゃんのどこが好きなのかをちゃんと考えたことがなかったから、この際、好きな食べ物を語るのと同じ熱量で語れるように向き合ってみた。まず、あのバッテン印のお口がたまらなくかわいい。生みの親、ディック・ブルーナさんによれば、うさぎの鼻から口にかけての部分が「×」のように見え、その気付きを活かしてミッフィーの鼻と口も「×」で表したということを考えると、お口っぽいあれは鼻としてのバッテンでもあるから厳密には鼻とお口がかわいいということになる。我が家には6歳のうさぎがいるので間近で見てみると、真正面アングルだと「Y」に、ちょっと下からのアングルだと鼻と口の間に人間で言う人中っぽい範囲があるが確かに「×」に近い。愛用しているミッフィーちゃんの顔付き付箋を手に、バッテンが鼻と口に見えるように眼球を巧みに操り目を凝らすと、鼻の穴を開いたような感じのうさぎさながらなミッフィーちゃんに見えてきておぉ…!となる。長らくお口として見てきたバッテンだし、ミッフィーちゃんを描く時は目・目・口、としっかり口で締めるのが当たり前だったから口以外に見ようがないであろうというのが本心だったけれど、鼻として見よう見ようと頑張ったら見えるものだから不思議だ。パッと見ると口、よーく見ると鼻も出現するという、シンプルなデザインの中の隠れた面白味に舌を巻いて好きが加速する。さてバッテンばかりに注目してきたけれど、ミッフィーちゃんの顔で好きなところと言えば、塗りつぶされたつぶらな瞳もそうだ。やや縦長で離れ気味な瞳は、どこかを見つめているようなどこも見つめていないような眼差しで、見る側の心をじわじわと落ち着かせてくれる。永遠の子ども、という設定通り全体的にかわいらしさが前面に出るミッフィーちゃんだけれど、その瞳の中には人生の経験者にしかないであろう温和な冷静さのようなものが宿っており、全てを受け入れてくれる雰囲気があっていつでも心が凪ぐ。大好きは大好きでも、めっちゃかわいー!もうたまらんー!みたいな、居ても立っても居られぬ好きではないのだが、見つめれば見つめるほど穏やかな気持ちになり、愛おしい気持ちが染み出てくるような、ぬくぬくと好き、みたいな感覚が湧いてくる。爆発的な好きではないからこそこうしてずっと好きなのだろう。
と、ミッフィーちゃんへの好意を初めて詳しく開けっぴろげにしてみたけれど、よく考えると、ずーっと好きでも推し活はしたことがない。節目節目で全国を巡るミッフィー展には恥ずかしながら一度も行ったことがないし、ミッフィー雑貨が集まるzakkaフェスタには人生でたぶん1回しか行ったことがない。それも事前に調べ満を持して行ったというわけではなく、たまたま買い物に行った百貨店でミッフィーzakkaフェスタやってるってよ、と偶然の産物的な出会いだったりしたから結局しっかり地に足がついたままで何も買えなかった。2025年の今年がミッフィー生誕70周年ということを何かの広告で知り、せっかくだからかわいい雑貨でも買おうじゃないかと思いはしたものの、必要性の部分で悲しいほど踏み出し切れず、今度どこかの雑貨屋さんでミッフィーグッズと出会したら買おうと心づもりだけはあるが実現していない。薄々感じてはいたけれど、そうなのだ。私にとってミッフィーちゃんは、生活そのものではなく、生活のごくごく一部に見え隠れするものであり、いつでも共にあってほしいというよりも、共にあったらいいよねのレベル感なのだ。子どもの頃から無類のぬいぐるみ好きなもので、誕生日に両親からミッフィーちゃんの大きなぬいぐるみを買ってもらったり友人から贈ってもらうことも多かったし、今でもガチャポンで出たミッフィーちゃんフィギュアを家のそこここに飾っているからちゃんと共に生きてきた感はあるものの、その好き度と言ったらどうだろう。キッチン雑貨をミッフィーちゃんに統一し、身の回りの持ち物にも酸素のように取り入れ、もちろんミッフィー情報に張り切って活溌な寸分違わないミッフィーちゃんファンの方に比べると、私などちりレベルではないか。十五夜にミッフィー月見団子を作るお料理上手な方々をSNSで見かけたけれど、白いもの=ミッフィーちゃんになり得る みたいな方程式が当たり前に思考としてあることに並々ならぬ愛を感じて恐れ入ったし、私もやってみようかなと思うほどかわいかったのだが、団子は作ったがミッフィー団子は作らなかった。熱湯で茹でろと言われているところをぬるま湯でやってしまうのだから、常温レベルかよ私の好き。そういえば家族がオランダへ出張に行くことになった時も、オランダとはまた随分遠いところへ行きますな、くらいにしか思わず、さて土産物は何を頼もうかと「オランダ お土産」で検索したらオランダ代表としてミッフィーちゃんが胸を張って名を連ねており、知らなかったわけじゃないのにあまりにピンとこない自分にしばらくわなわなした。オランダこそミッフィーの聖地ではないか。一緒に飛び発つ勢いで居れよ。人並み程度の、いや本物のミッフィーファンからしたら人並み程度以下の好きでミッフィーちゃん好きを公言してきたことが、急に意味がわかって怖くなる怖い話みたいにハッとして恐ろしい。あああ。私は昔からそうなのだが、好きになってもこれといって何にもハマらない。自分的にはハマっていると思っても、周りのもっともっとハマっている人を見ると全然ハマっていないことに気付いてそっとハマることをやめる。好きなアーティストと言えばミスチルで、子どもの頃から点々と聴いてきたけれど全てを懸けて追いかけるほどの熱はなく、確かにずっと変わらず好きだが通年ほどほどだ。学生時代、長年SMAPファンの友だちがいて、出演番組は全て録画しライブに行くのは当たり前、推しのメンバーのカラーを全てに取り入れ、SMAPのことを語り出すと嬉々として暴走列車になり、どこから仕入れたのかと思うほど情報通で「もしSMAPが解散した時は、私が死んだと思って」とまあまあ本気のテンションで話すのを見て本物だと思った。どれだけ時間とお金を注ぎ、どれだけ詳しいか。本物の好きとはそういうことよなと静かに悟ったのを覚えている。
だけれども、それでも、私はちゃんと好きだ。見ればほっこりし、このままずっと見ていたくなるような存在のミッフィーちゃんが。生まれを忘却し、勇んで推し活をすることもなく、詳しくないことに悔しさはあるからよしと意気込んで詳しくなろうとするのだが結局一時的で全然詳しくなれない現実にしょぼしょぼすることもあるけれど、なにしろ誠実にときめいている。うんちくはちっとも語れないけれど、ときめきはびんびんにあるのだ。そうかときめきで繋がっているのか。専門家にはなれないが、自分なりに愛でては和み楽しむ愛好家ポジとして、これからもミッフィーちゃん好きを名乗ろう。

「子どもがミッフィーちゃん好きで、我が家にもミッフィーグッズが増えてきたよ。ミッフィーちゃんが視界に入るたびにまいたけを思い出すことができて、私はそっちが嬉しい今日この頃」
親友から送られてきたLINEが沁みた。

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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

いつだって心穏やかな人でいたい。生きることに、シアワセな気持ちで取り組みたい。そんなお仲間を見つけられたら嬉しいです...!

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