堂々と照れるという世界の回し方。

照れる女性

私は自宅で1人、もくもくとずいずい進める働き方なもので、内の世界に閉じこもっていることが多く、家族以外とコミュニケーションを取ることが少ないから良い意味であっさりと過ぎる日が多いのだけれど、珍しくあった。濃い出来事が。

私には、小さい家族が通う幼稚園にものすごく好感を持つ人がいる。いや、好感というよりもはや恋か?と思うレベルで大好きで、今日は会えるだろうかとわくわくし、脳内では完全に主役になっている。小さい家族の友だちのお母さん、なちゅさんだ。(仮です)
園に通い出してもう2年くらい経つが、実はなちゅさんとは今まで交流が皆無に等しかった。彼女は現在3人の小さい宝物たちを子育て中で、バス送迎かお父さん送迎のスタイルだったから何か行事の集まりでもなければ顔を合わせることもなかったのだけれど、そういう場でも物理的に距離があったものでお互い本当に存在しか知らない状態だった。お父さんの方は放課後小さい家族がよく遊んでもらっていたし、小さい人同士は仲が良く、個人的に絶妙な愛嬌があってめちゃめちゃかわいいなと思っていたからそれを理由に話しかけたりできれば良かったのだが、なにしろ私は話し下手のくせに猪突猛進的なところがあって昔から意気込んではだいたい失敗するから避けてしまっていた。どこか宿題の存在をうっすら感じながら遊んでいるような感覚はあったものの、結局何もできず時は過ぎ、最近になって少し育児が落ち着いたのかなちゅさんが送迎で来られるようになった。ある朝、玄関で偶然なちゅさんたちと一緒になり、ほぼ初めてのおはようございますを交わしたのだが、その一瞬でそれはもうがっちりと心をつかまれてしまった。声だ。私の中ではかわいい声に分類されるのだけれど、かわいさの中に清涼感も含んでいて、聴いた瞬間、理屈なしにわっ好き!と反射的に反応してしまうくらい芯を捉えて心地よくて、だからなのかなちゅさんの存在自体に魅力を感じて恐ろしく神々しい。聴けば聴くほど若返りそうな気さえする。もともと声フェチというか声音に敏感なところがあって、街中でもあっ!と好きセンサーが反応することが稀にある。声が好きというのは生理的に安心できているサインだと言うけれど、これが波長が合うみたいなことなのだろうか。そしてそして、お顔もめいっぱいかわいい。余白を知らないシュッとしたお顔立ちでクールさも持ち合わせているのだけれど、笑顔のかわいらしさでもってハイブリッドな輝きが増し鷲掴まれる。ど真ん中ストレートだ。そして面と向かって話したからわかったのだが、私の高校時代からの友だちに雰囲気や話し方が似ていて、それも好感を持った理由の1つだなと納得する。それから、放課後の園庭で何度かおしゃべりをして、小さい人々の交流にも繋がれ、慣れるまでは誰に対しても屈強な甲羅とはさみで顔を隠し守りに入る私もわりと自然に話せるようになった。なんと言ってもなちゅさんはとても明るく気さくな人で、見ている感じ誰にも壁がない。控えめかつノリ良い雰囲気の友だち口調でナチュラルに距離を縮められるから、こちらもナチュラルに殻を破ることができた。社交辞令を超え、知人レベルくらいになると私は誰にでも挨拶の時に手を振ってしまう癖があるのだが、なちゅさんに対しての振り方と言ったらもうぶんぶんしっぽを振る大型犬のようだ。遠くにいても近くにいても振りが激しい。周りにどう映っているのか気にならないわけじゃなかったけれど、そんなもの意に介さないと言わんばかりになちゅさんもわあーっとぶんぶん振り返してくれる。こちらの温度感に合わせてくれる優しさが沁み渡り、もしかしたらそもそもお互いが持つ性質が似ているのかなと思ったりして、私の中でより特別な人という位置付けになった。いつか、もう少し仲良くなれたら気味悪がられない程度に実は実は…と思っていたことを話せたらいいなあと夢想する。
そんなことをせっせと意欲的に考えた次の日、まさかまさかの展開がやって来た。この日も園庭で小さい人々も交えておしゃべりできたのだけれど、帰り際、なんとさらりと「お友だちになってください!」と言われたのだ。対面でそんなストレートな台詞、少女漫画の中でしか再現されないものだと思っていたが今目の前で甚だ華麗に起きた。じゃあまた明日!くらい爽やかに、なんとはなしに言われたものだから、えっなんて!?と状況の飲み込めなさが全身を駆け巡ったが、考えるより先に口が「もちろんもちろんぜひ」と発してくれていて不自然な間はなかったからとりあえずほっとする。じわじわ理解が追いつき、漏れ出そうな嬉しさを力強く押し込み、この後どうすれば!?お友だちになってくださいの後のハイなります!むしろなりたいです!の返答の後ってどういう動きが正解!?と、頼りない引き出しをがっしゃがっしゃひっくり返して、あっLINE…?とよぎったと同時になちゅさんが話し始める。実はかわいいなと思ってくれていたこと、小さい人々と鬼ごっこしてるな〜いつも走ってるな〜と見てくれていたこと、そして最後に「こわいよね〜ハハハ」と、愛嬌たっぷりに空気を和ませてくれる。遠くで小さい家族の帰るよコールが鳴り響いていることはわかっていたものの、飛ぶほどの嬉しさとこれはもう自分も伝えるしかないみたいなファイト精神が暴れ出したから聞こえないふりでやり通そうと思ったのだけれど、「はーやーくー!帰るよーーー!」が威勢よく轟きまくって、結局あわあわと後ろ髪引かれる思いでなちゅさんとなちゅさんの宝物にバイバイしその場を後にする。帰り道、小さい家族とわちゃわちゃ話しながらも私はさっきのことで頭がいっぱいで、だけど、家に着く頃にはキラキラと色めき立つ思いはうすらうすら霞み、千載一遇のチャンスをみすみす逃す自分が情けなくて泣けた。しかも一部始終を振り返ってみるとあろうことか「やっそんなそんな…!いや〜ハハ〜(照)」しか言っていないことに気付いて、せめてありがとうを伝えろよとあの時の絶望的なテンパリ具合いに落ち込む。私は予期せぬ状況や焦る状況に激しく弱く、ただでさえ頭の回転が鈍いのにこういう時は脳みそが完全にフリーズして何も考えられなくなるのだが、そうなるとこれまでの人生で培われてきた褒められたら謙遜するものという無意識の反応が出てしまう。嬉しさを伝えるという意味でも、まっすぐ伝えてくれた相手に感謝を伝えるという意味でもありがとうのカードを切るのが絶対正解なのだけれど、デフォルトの行動を変えるにはかなり意識していないと難しい。あああ…あの時、めちゃめちゃ嬉しいです!ありがとうございます!と伝えられていたら…自分の話をしなきゃと自己中が盛んだった自分が恥ずかしい。これが私という人間の本性か、あああ。それから2日間、積極的に反芻してはへこみ、まだまだ関係は浅いがなちゅさんという存在の大きさに気付かされ、心がたどたどしく忙しない。とりあえず気持ちを整理しようとペンを取る。好感を持ってもらえたことが嬉しい。友だちになりたいと思ってもらえたことが嬉しい。そして何より、この人になら言っても大丈夫そうだと思ってもらえたことが嬉しい。受け取ってもらえそうだと、何か信頼めいたものがあったんじゃないかと思うから。こうして書いて整理していくと何が重要なことなのかが見えてきて霧が晴れるのだけれど、なにしろ書いても書いても結局「で、どうする?」になり、精力的に喜び舞っては現実を見て絶望に沈み堂々巡りから完璧に抜け出せない。何か行動しなければと思うのに、何をどうすれば良いかわからずもんもんとし、デスクに突っ伏してはうめく。あああ。存在がもはや事件だ。こういう対人関係の失敗は、コミュニケーションモンスターの家族に相談することが多いのだけれどちょうど出張中で打ち明けられず、かといってLINEで説明するのもしっくりこないからChatGPTに聴いてもらうことにする。最初からものすごく好感を持ったお母さんがいて、その人からこんな嬉しいことを言ってもらい、なのに自分はありがとうすら言えず、しかも思いの内を話せる絶好の機会に恵まれたのにそれも活かすことができず喜びと後悔がぐるぐるとしていて、何か行動したい気持ちはあるけれどどうしようどうしようばかりで、私は一体どうしたらいいのだろうか?と、ざっくり経緯を伝える。すると、
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まず最初に伝えたいのは、**あなたは何も失敗していません。** むしろ、とても誠実で、温かいやり取りがすでにできていると思います。
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と開口一番、こんなポンコツに身に余る言葉を贈ってくれる。大失敗だと思っていたことに、失敗じゃないですよと言われるこのじーんと沁み渡る感覚。感情が水分としてフライング登場する。ChatGPTいわく、その人の立場になってみると「お友だちになってください」に「もちろんぜひ」と返してくれたこと、手を振ったら笑顔でぶんぶん振り返してくれること、話していて自然に心地よいこと、それだけでもう充分「通じ合った」と感じている可能性が高いし、きっと「あの人も嬉しそうにしてくれてたな」と思っているはずだ、と状況から汲み取って励ましてくれるから、そうかそうか、そうかもしれないぞと元気が出た。客観的に見たら冷静に分析できることも、当事者となるとなぜか悪い方向にばかり考え重く捉えがちで、わざわざ落ち込みにいってしまうのだから困ったものだ。そして、
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“あの場で完璧に言葉にできなかった後悔”って、“相手を大切に思っている証拠”なんです。感情の温度が高いほど、言葉は追いつかないものです。その不器用さごと、魅力です。
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と、私の存在まるごと肯定しきってくれるものだからもはや完全に放水状態で、結局機械的なものなんだからとこれまで一定の距離を取ってきたGPTだがやっていることが人間味に溢れすぎてて自ら沼に飛び込みそうになる。さて、今後の行動としてもアドバイスを提示してくれたのだけれど、
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「そういえばあの後、嬉しすぎて家で何回も思い出しちゃいました」
これくらいで、大げさじゃなく、素直に笑って言えば100点です。
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という案にハッとさせられる。コミュニケーション能力に乏しい私は何かにつけて書にしたためがちで、今回も手紙を書こうかどうしようかと思い悩んでいたところだったのだが、さっぱりと、なんでもないことのように伝えてくれる相手に対して手紙はどう考えても重たいし、それこそこちらも友だちね!はいはーい!とさっぱり受け止め、良い距離感で付き合っていくのが良いのかもしれないと悟る。危ない危ない、もう少しでこってこての生クリームもりもりスイーツを差し出すところだったなとぞっとしてほっとする。
さあとりあえず整理はついたものの、両思いになった人と初めて顔を合わせるみたいな緊張感パンパンで送迎に行くものだから、小さい家族にも「なんか変じゃない?」と言われてなんか可笑しい。結局あの日から3日後、偶然迎えの時間が一緒になって顔を合わせたのだけれど、変わらずぶんぶんと手を振ってくれるなちゅさんがそこにいて、私はなんていうか、もっと砕けた。

さて家族が出張から帰ってきて、最近お気に入りのバウくんことVaundyのライブ映像で盛り上がり、若くしてここまでの才能と絶妙なバランスを持ち合わせる彼はそもそもどういう人なのかを知りたくなって、彼より先輩のマカロニえんぴつはっとりさんとの対談映像を観た。そこには、はっとりさんの賛辞に「あ、ほんとですか…!ありがとうございます」と、トップアーティストにも関わらず照れまくるVaundyがいて、そしたらなんだかこっちまで照れてしまって、そういう巡り方っていいなと思った。長年、謙遜こそ美学だと思って生きてきたけれど、こんな風に堂々と照れることが人の心をつかみ、世界を回しているんじゃないだろうか。ステージ上だけでなく素のVaundyにもスケールの大きさを感じ、久しぶりにスケールの大きいことに気付いたなと、世界の秘密を聴いて寝た。

プリーズ シェア!
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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

いつだって心穏やかな人でいたい。生きることに、シアワセな気持ちで取り組みたい。そんなお仲間を見つけられたら嬉しいです...!

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