「好きな食べ物なに?」と問われた時の答えとしてはちょっと雑かもしれないが、子どもの頃から一途に好きだったものがある。肉だ。
牛・豚・鶏どれも好きで、ハンバーグや生姜焼き、唐揚げなんかは我が家の食卓をよく彩ってくれていた。強いて言えば牛肉が好きだから、外食するとなったら焼肉かステーキを選ぶし、ファミレスに入ったらステーキとハンバーグのコンビで2倍楽しむ。
遺伝的なものに助けられ痩せの大食いだった私は、食べる量もなかなかのもので、特に焼肉の時なんかはひどかった。牛タンから始まって、カルビ、ハラミ、ロース、ホルモン、そしてまた牛タンを食べて、カルビ、ハラミ…と周回した。口をリセットしてしまえば、人間は延々食べられる生き物なんだと証明するドミュメンタリー番組があったら、ぜひキャストに立候補したいくらいだ。
米を食べないからそんなにいけるのか?と思いきや、米があってもじゃんじゃんいける。むしろ米の存在があってこそ焼肉が輝くし、米がお供に名乗り出てくれればどんなおかずも生き生きとするからますます好きだ。
焼肉の右に出る者はいない。焼肉ほど自分を幸せにしてくれる物などない。そういう焼肉への深い敬意が、「私の好きな四字熟語は焼肉定食です」と話してしまうほどに堂々と反映された。No Yakiniku, No life であり、No rice, No life が私であった。
あまりの焼肉好きが高じて、学生時代は牛角でアルバイトをした。一人暮らしをするアパートから徒歩1分の近所に牛角があり、物件選びの決め手は焼肉と共に暮らせるその立地の良さだった。
アルバイトの面接に行く時には、「牛角でアルバイトをするために物件を選びました」「毎日食べたいくらい焼肉が大好きです」という2本柱を武器に採用を勝ち取った。第一印象はどちらかと言えば大人しい雰囲気に見られる私だが、焼肉に対する思いは熱すぎて当時の店長を驚かせたほどだ。たぎる思いだけにしぼって挑んで良かったと今でも思う。
そうして晴れて牛角でのアルバイト生活をスタートさせた私は、コツコツとシフトに入り、せっせとまかないを食べ、こんなに恵まれた生活で良いのだろうかと豊かすぎる焼肉ライフにしびれまくっていた。アルバイトの人たちもみんな明るくてまことに良い人ばかりで、働くことが何より楽しかったし、仕事の意義や充実感も、チームワークの価値や幸福感も牛角で教わった。
そして、「焼肉には、人を元気にする魔法があるッ。」というキャッチフレーズ通り、そのおいしさもさることながら、家族、恋人、友人同士、はたまたパートナー同士 (従業員という牛角流の表現) の時間をすこぶる愉快にし、みるみる賑やかにしてくれる牛角焼肉の力に気圧された。そういうおいしく楽しい時間は、それぞれの関係をぐぐっと深め、結びつきをぎゅっと強くしてくれるということもこの時知った。2年働く中で私自身、一生付き合いたいと思える友人も見つけられ、取り巻く環境が変わった今でも連絡を取り合ったりしているのだから、存在はそれはそれは大きい。
焼肉って本当の本当に魔法使いじゃないか…
焼肉への愛と敬意は最高潮だった。
それが30代目前まで続いた。
周りにいる同世代の話を聞く限り私の胃は元元元気なようで、焼肉屋のはしごなんかもしたりするくらい活きの良い胃だった。焼肉への揺るぎなさはどこまで続くのか…正直自分でも空恐ろしいくらいだった。
とは言え、30代に片足を突っ込む頃には、焼肉への熱量がじわじわ減っていることに気付いた。巷でよく言われる「脂を受け付けなくなった」みたいな、「昔あまりに食べ過ぎて食べられなくなった」みたいな感覚が芽生え始め、ヒレステーキが好きになってきた自分を前にいよいよ覚悟を決めた。
焼肉のことは大好きなんだけど、今の私にはヒレステーキが必要なの。ごめんね。
去った。焼肉の前を。
あまりにあっさりとした別れだったから、焼肉サイドはきっと呆然としただろう。でも前を向くと決めた私の勢いは誰にも止められない。
そうしてステーキの時代、鶏肉の時代が次々到来し、肉欲相変わらずで走り続けた。
そもそもどうしてそこまで肉を求めるのかと言えば、2つあって、1つは自分のルーツなんだと思っている。
実は私は29日生まれ、何を隠そう「にく」生まれであり、毎月のにくの日にはどうしたって肉に意識が向くような人生を歩んできている。8月29日が焼肉の日だと気付いたのは、焼肉屋さん以外では自分が最初なんじゃないかと思うくらい、肉にかこつけて生きてきた。縁を切ろうと思ったって切ることができない、そういう運命にいて、むしろ肉に生きることを使命感のように思っているところもある。
そしてもう1つは、お腹の満たされ度が高いということだ。
実は私は、20代後半で炭水化物が顔だけを異常にぶくぶく太らせることに気付き、普段米も小麦も食べることをやめた。本当に食べたい時、心置きなく食べられるように日常では離れる。それが自分の決まり事だったし、今でも変わらずそのスタイルだ。炭水化物を摂らずにお腹を満たすにはどうするかと試行錯誤した時、行き着いたのがやっぱり肉だった。野菜や豆腐、魚や卵などでは届かない満足感が肉にはある。だからじゃんじゃん食べた。食べ続けてきた。
求めるうんぬんじゃなく、惑うことなく肉と共に生きるのが私であった。
だけれど、30代という人生を歩み始め、家庭環境が変わり、健康への意識が高まり、自分改善に面白みを感じるようになって、食べる物が変わった。自分を支え続けてくれた肉という存在は、私の日常に一切参加しなくなった。
きっかけはひょんなことだ。
私は週に1回、ネットスーパーで食材をどっちゃり買い込むのだが、ある時の買い物合計金額が妙に安く、あれ?といぶかしんだ。買い物をするために、付箋に今週の献立をメモし、上から順番に必要な物をカートに入れていく方法をとっているので、再度その付箋をにらんでみる。あっ!今週は肉がない!
たまたま、肉も魚も使わない献立になっていたようで (豆腐や厚揚げ、オムレツが今週のスタメンだった) 、金額が随分抑えられた模様。ストイックな努力なしに節約できたことの喜びがめらめらと昇り、私を陽気にする。家族に、「今月の食費は随分安かったね?」と言われると、「そうですともそうですとも、だってお肉を買ってないんですのよ」とふがふが息巻いた。
肉を買わないと家計に優しいという、世間一般からしたら周知の事実にナチュラルに辿り着いた自分が誇らしくなり、ますます味をしめ、肉なしの日々を突き詰めていった。
20代の頃は特に食べ盛りだったから肉なしなんて考えられなかったけれど、豆腐や卵は何十変化と姿を変え肉の代役を務めてくれるし、野菜も穀類はがしっとお腹に溜まって私を十分生かしてくれる。
年齢による体の変化もあろうが、肉以外の食材たちの底力に魅せられ、私の考えも体の感覚も変わった。
そして、衝撃的な事実に気付いてしまった。言葉にするのも躊躇われるのだけど、私の体に肉は合わなかったということだ。なんという運命ぞ。
肉を食べなくなってからまず、お腹の調子が格段に良くなった。
子どもの頃から便秘だった私は、毎日出なくて当たり前という生活を当たり前に送り、たまにお目にかかれてもその姿形に残念な気持ちになるという人生を送ってきた。中学生の頃に2週間お通じがなかった時なんかは、さすがに家の中がどよどよした。大事件だと母は薬局へ浣腸剤を買いに行き、事なきを得たという苦い思い出もある。大人になってからサプリも活用しながら便秘は克服したものの、決して良い状態ではなかったのだけれど、肉と距離を置いたら急に良い状態になった。明らかに腸が整っている。一般的に肉は便秘になりやすいという情報は持っていたが、ここまで影響を与えていたとは衝撃だ。肉への揺るぎなさに足をすくわれるという恥ずかしい私を、どうか見放さないでほしい。
そしてもう1つ、月のものが安定した。
便秘同様、毎月来なくて当たり前という生活が当たり前で、全く読めないサイクルを送っていたのだけれど、なんと安定した。もう月には見放されているからとあきらめていたのに、規則正しくお目見えするようになった。しかもどっからどう見ても鮮やかなのだ。生きた者から出る生きたものという感じで、肉への申し訳なさを感じつつも気持ちがほとばしった。体はなんと正直なことか。
あんなに私のお腹を満たし、心を満たし、いつも側にいてくれた存在がどうやら体には合っていなかったという事実。いや、合っていなかったというよりは、あまりに食べ過ぎていたという方が正しいかもしれない。消化が追いついていないのに、好きすぎてどんどん食べた。大人になって量こそ減ったものの、それでもほぼ毎日食べていた。
肉生まれ肉育ち、肉には縁があるのだと仁王立ちで肉を迎えていたが、体は悲鳴をあげていたのかもしれない。
今でも肉は好きだ。合わないとわかっても特別な日には肉を食べたくなるし、楽しい場に肉はつきものだと思う。豊かな時間をくれることに変わりはなく、その存在感は唯一無二だ。
だけど、ちょうど良い距離感というのがきっとあるんだな。食べ物に対しても。
今まで好きすぎて、近すぎたから、ちょっと距離を置きたくなった。今の私はそんな状態なのかもしれない。

あんなに大好きだったのに、今私の隣にはいない。
その響きは寂しさを帯びるけれど、肉肉しさが取れ、日常をしっかり休腸日にした私は、これからますます肉と良い関係を築いていける気がしている。