丸くなる、ってどういうことか考えた。

曖昧さ

最近、もしやこれが丸くなるってことなのか…?と思うことがあった。

ある俳優さんが、美しい外見をキープするために気を付けていることは何か?と聞かれたことに対し、「朝は食べない。空腹になるまで食べない」と答えていたのを見た。

ほぉーーーそうですよね、そのスタイルを維持するために、食欲に打ち勝つ精神力を持ってらっしゃいますよね!かっこいい!ストイックだなあ〜!
きっと、前の私ならこう思っていたはずだ。


実は、どちらかと言えば私もストイックなタイプの人間である。
肌を綺麗にするためなら、体重を落とすためなら、と、目に見える実感のために、わりと自制を厭わない。

食べることが大好きで、自他共に認める大食いなのもあって、特に「食事」に関する改善方法は常に頭を巡っている。

なるべく体型は維持したい。かと言って365日頑張れる強靱さはない。チートデイはほしい。絶対ほしい。週末くらい、タガを外してぱぁーっと食べたい。

こんなわがままな私には、ハレとケ食事法しかない。
普段は僧侶のような慎ましい食事を腹5分目で昼夜2食、週末は食べたいものを食べたいだけ食べる。
質と量で圧倒的な差をつける、完全なるハレとケ作戦だ。

この方法が1番合っていると気付いたのは、本格的な食事改善に取り組み始めて2年以上。たぶんいろんな方法を50は試したんじゃないだろうか。

1番相性が悪かったのは、ちょっとの量を、1日の中で何回かに分けて食べる方法。ちょこちょこ食べ。空腹による爆発を防ぐ目的があるけれど、私には合わなかった。
1日中ずーっと食べ物が頭を占領した。仕事をしてても、トイレに行っても、冷蔵庫と戸棚のストックをありありと思い出せた。ちょっとならお菓子でもいいよねと、お手頃感と食べやすさを言い訳にして、躊躇なく甘いものをぶち込んだ。
ちょっとなら、ちょっとだけなら、が続いて、結局食べている量が増えていた。

もちろん、太った。休む暇がない内臓たちも悲鳴をあげているようだった。そもそもお菓子が良いわけないだろって、本当にその通りなんだけれど、こういうところが私の甘さなのだ。

正直、今でも食べ物のことについての知識はほとんどないけれど、食事に対する自分の性質はよくよく理解できたと思う。
何を残し、何を捨てるのか。捨てられるのか。

自分を知る、自分をわかるってやっぱり大切なんだなあとしみじみ思った。
体型も体調も、今のところ維持できている様子なので、このまま続けようと思う。


ちょっと話は逸れるけれど、食事量を減らしたい人で、いろいろやったけどダメだ…という人がいたらぜひ試してほしい方法がある。

お腹ぺたんこ食事法だ。お腹をグッと凹ませ、そのままの状態で食べること。
食べていれば当然お腹が膨らんでくるけれど、構わず凹ませる。
そうすると、凹ませるのがちょっと苦しい…みたいな瞬間がやってくるので、そのタイミングでやめる、という方法だ。

この方法で、私にとって1番の難関だった、量のコントロールが可能になった。
大した量を食べなくても、お腹いっぱいだーと同じ感覚がすぐ訪れる。だから食べ過ぎない。なんなら腹筋にも効くという副次的効果もある。
何かを準備する必要もないので、興味があったらぜひやってみてほしい。


話を戻して、まあそんななので、ストイックな人には共感はもちろん、尊敬の気持ちが込み上げてくるわけである。
だけどどうだろう。この時の私は、そのストイックさに、どこか同情めいた気持ちを抱いてしまった。


ストイック、について私なりに考えてみると、「正しいことを正しくやる」ということであり、「自分は正しい」という自己評価だと思う。
世の中的に正しい、大事だとされていること、例えば健康的な食事、運動を日常に取り入れることを、自分の意志で貫く。それは当然正しいことで、正しく生きている自分を確立することになる。
だから、ストイックという言葉は良い意味で使われることが多いし、言われたら嬉しいという気持ちにもなる。私も、ストイックだね〜と言われる度、自分を誇らしく思った。

だけど、実はストイックな人には、「弱い部分」があるのだ。
「ストイックじゃない人への優しさ」が弱くなりがちではないだろうか。

正しいことなのに、なぜやらないの?
正しいとわかっていて、なぜできないの?

自分が正しく生きている自負があるからこそ、そうじゃないタイプの人に寄り添えない。「やって当たり前のことなんだ、だって正しいんだから」と、どこか怒りに近い感情が生まれてしまう気がする。
だから、「食べません。(自制心ありますから) 」という、正しさを表明するような、強気な言い方になるのではないだろうか。
考えてみれば、私はずーっとこんな風だったなと思う。


正しさに生き、正しさを纏うと、生きづらくなってしまうのだ。ストイックすぎると、そういう側面があるのだ。


苦しい部分があるんじゃないだろうか、この俳優さんに対してそう思った私は、たぶん丸くなったんだと思う。文字通り、角が取れてきたんだと思う。

人間、正しさだけじゃ生きられない。正しいか間違っているか、その2つで判断できない曖昧な部分だってある。その曖昧さに救われることだってあるのだ。

丸みを帯びてきた自分に驚きつつ、歳を重ねるってこういうことなのかな〜と、おばあちゃんになった自分を想像するのがちょっと楽しい。
それでも、体型だけはまん丸にならないように心掛けたいと思う。

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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

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