好きな食べ物について、そろそろ語れるようになりたいと思い始めた。

食べる女の子

今までずっと、好きな食べ物について深く考えず通り過ぎてきたのだが、いよいよこれじゃいかんのでは…?と思い至り、私は立ち上がった。
古賀及子さんの「好きな食べ物がみつからない」という著書を読んだからだ。

そもそも私は食べることが大好きで、うかうかしていると無意識に食べ物のことを考えたり、食べ物モチーフの雑貨を調べてほくほくしていたりする。食べることが好きという以前に、食べ物自体に愛着があるらしいと見えるから、とうとう自分は食べ物界のムツゴロウなのだなと気付き恐れ入る。であれば、テキトーにはしておけないというのが人情だ。

そもそも、食べることが好きなタチでありながらなぜ深く考えてこなかったのかというと、「肉」という絶対的実力者に頼りきっていたからである。

私は子どもの頃、記憶の限りでは小学生の頃から肉が好きだった。外食となれば肉が食べたい!と騒ぎ、両親が目を丸くするほど食べ尽くした。中でも焼肉が好きで、学生の頃は牛角でアルバイトをしていたのだが、それもただただ焼肉が好きだからという理由で応募した。当時の店長に、ちょっと大人しい感じだったからうちの従業員の子たちの雰囲気に合うか心配だったが、焼肉への想いが熱くて採用したということを後で聞いた時、自分の想いはそこまでたぎっていたのだなと誇らしくなったのを覚えている。
それくらいの強度で好きだったから、自分の好きな食べ物が肉、強いて言えば焼肉だということを自覚していたし、公言して周りも巻き込みつかんで、結局20代後半まで焼肉全盛期は続いた。

だけど30代目前になった時、今までの焼肉への揺るぎなさがわずかに揺らぐような感覚を覚え始め、もう私は肉女ではないのかもしれないとハッとした。肉が1番好き!と言い切れない自分なんて想像がつかなすぎてたじろいだ。

じゃあ今私は何が好きなのだろうか。
そういう問いに真剣に向き合い、答えを出すことができれば良かったのだけれどできなかった。いや、しなかったのだと思う。肉が圧倒的で独走状態だったことに甘え、「肉以外の好きな食べ物たち」に目を向けず、肉好きは永遠だ、不変だ、などと丸腰で生きてきたものだからもう手に負えない。そういう手に負えなさが、肉じゃないかもしれないという違和感に蓋をして、でもじゃあ何なのかはわからないからその時なんとなく頭に浮かぶものを好きな食べ物として答えてしまえ、という曖昧スタイルを生んだ。
引いては、「見つからないし決められない。決めきれないものだ」というスタンスを生んだのではないだろうか。

だけど古賀さんが、そんな固く目を瞑る私を優しく起こしてくれた。

私はお餅が好きと決めた。
あの人はお餅が好きと認めてもらうことが、交流のきっかけになるかもしれない。
他者とだけじゃない、自分でお餅が好きだと認めることで、自分の新しい行動も生まれる。
街で見かけたお餅の看板に瞬発力をもって反応できる。お餅のアクスタがあったらぜひ欲しいし、餅が好きという人がもし現れたら巡り合わせを喜んでひじを抱き合って共感したい。(中略)
日頃から推して、それなりに時間を割いて好きでいるわけじゃない、でも、決めておく。それがコミュニケーションや人生を彩る。

好きな食べ物がみつからない / 古賀及子


決めることが人生を彩る。
なんと恍惚とする響きだろう。あんなに後ろ向きだった私の心も、何が何でも好きな食べ物を決めようじゃないかと勇み始める。

この著書で古賀さんは、自分が好きだった食べ物、好きと公言したことのある食べ物を棚卸ししながら、今自分が真に好きな食べ物を探し歩いていくのだけれど、最終的に、好きな食べ物は見つけるものというよりも「見つけながら決めるものだ」という結論に至る。

言葉を借りれば、
・決めずとも生きながらにしてみつかってしまう、みつける10割、決める0割の人
・みつけるよりも先に決めてしまう、みつける0割、決める10割の人
という両極があって、人それぞれのバランス感があるのではないかと言う。

前者は本能直感抜群タイプで、後者は決めることでじわじわと好感を抱き始め、本当に好きになるという究極自己暗示タイプだ。

ちなみに古賀さんは、「おおむね7割みつけて、残りの3割で決めて着地させた」と言う。

私の場合だと、小さいうちに肉という確固たる物がみつかって、20代まではみつける10割の人で生きてきた。だけど30代を前にまんまと揺らぎ始めたから、古賀さんみたく何割かでみつけて、何割かで決めるという人にシフトしなければならないのだ。

食好きが功を奏して、この世の中に嫌いな食べ物がほぼない = この世はほぼほぼ好きな食べ物である というのが私だから、純粋にみつけるのはおそらく至難の技だ。あれもこれもと無限に出てきそうだし、そうやって結集した彼らを今度は、そもそもおぼろげである「好き」というものの強度順に並べていかなければならないのだ。
少し棚卸しを始めてみたが、もうすでにまあまあぞっとしている。先は長そうだ。古賀さんは4ヶ月も迷走したと言う。

だが屈せずに、立ち向かおうじゃないか。なにしろ私は、好きな食べ物を決めて人生を彩りたい。肉が好き!と胸を張って生きていた、淀みない自分を取り戻したい。その時なんとなく頭に浮かぶものを好きな食べ物として答え、洋服を前後逆に着た時のような独特の気持ち悪さを感じ、自分ぽくない自分で生きるのはもうやめにしよう。
今こそ、これが好き!好きなことにする!と決めなければなるまい。めいめいと語れるようにならねばなるまい。

過去を掘り下げ、突き当たる食べ物1つ1つと向き合い、自問自答してはまた別の回路で掘り進め、これだ!これに決めます!とついに宝箱を掘り起こした古賀さんに敬意を表したいし、一緒に探し歩けたことがこの上なく嬉しい。ドラマ1クールを観終えたような満足感でいっぱいである。

まいたけ

さて、私の好きな食べ物はどこに着地するのだろうか。

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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

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