2/14 (土) 年輪仕込みの笑みで円満にかわし、結局ひと粒も減らさず愛で倒して箱を閉じた。

日記

目が覚めて、iPhoneを見ると5時14分。一瞬、起きるか?とも思ったけれど、まぶたは即決でシャッターを閉める。5時55分のアラームで再びハッと浮上し、小さい人もむくっと起きて、「あっ今日おじいちゃんにチョコ渡そうね」とバレンタインへの気合いが女子高生だ。去年も一昨年も、ネットで選んで当日届くように手配したのだけれど、今年は土曜日だし予定もなかったしということで直接お届けに行くことにした。年輪を重ねた人々の家はバスで30分もかからないところにあって、ワンシーズンに1回くらいの頻度で遊びに行っている。私にとっては義理になるのだけれど、年齢もあってかすっかり身内の年輪で、気持ちの中ではもう完全に孫ポジションだ。2人とも優しくて面白くて、行くといつも笑ってばかりいる。相方の大きい人には昨日手作りのチョコと、しっちゃかめっちゃかになった時の保険で用意していたおしゃれチョコを渡し、「売り物って言われてもわからないよ」と、小さい人と溶かして固めてデコレーションしたポップなチョコレートを褒めちぎり、宇宙一丁寧に咀嚼していた。
歯を磨いて顔を洗っている間、昨夜読んだ「むせるくらいの愛をあげる」の最新刊が良すぎて、好きだった場面を反芻してむせそうになる。破天荒バンドマンのガクのかっこよさが放水状態の巻だった。大胆で自由人。自分の気持ちに一本芯で生きる彼に、ヒロインのひばりもぐいぐい影響を受け高め合っているのが素敵で、まだまだ若い大学生なのに生き方、付き合い方が妙に覚悟的でかっけーぞ。ガクの何が魅力かって、私は圧倒的に目だと思う。なにしろ全部詰まっている。不満、歓喜、焦り、もどかしさ、愛情、余裕。湧き立つ全てが加工なしで瞳に出る。あの瞳に、わしわしと心をつかまれてしまう。もともと岩下慶子先生の絵が大好物というのも前提にあるが、それにしても持っていかれ方がひばりと同じ温度感で、自分のたゆまぬときめき力に感心してビビる。ここまでの歩みを思い返しつつ、もう一度新鮮に胸を躍らせたいから、きっと1巻からまるごと読み返すだろう。
ガクへの熱はそのくらいにして朝の雑事に取り組んでいると、小さい人が「まいたけちゃんて、1番かわいいお母さん?広島の世界の中で」とキラキラした目で問うてきて、咄嗟に「いやいやいや〜」と真剣に照れまくると、「いやいやそうよ」とむぎゅしてくる。「てぃのちゃんが小さい頃から、ミルク飲ませてくれたり、今までもありがとうございます。てぃのちゃんより」と今でも立派に小さい人は、まるでお手紙のようにきっちり締めくくり、私も「こちらこそです」と愛ぱんぱんな告白に丁寧に返した。
布団を片付けに寝室へ行くと、小さい人が大きな掛け布団と格闘していたから「ありがとう〜」と手伝うと、「今日は朝ごはん大丈夫だから!」と、どういたしましての代わりに「私オートファジーします」宣言をぶちかましてきて感心する。「ほい!」と御意を伝えると、少し焦って「でも別にまいたけちゃんが決めていいけど」と、「まあ、最終判断はそちらで」の意をサッと差し出してきてこれはもしや?と思う。我が家の休日はお昼か夜が前向きに外食になりがちで、朝は無しか、軽くにしておこうかという日が多い。小さい人もそれを心得ており、今日の朝は食べられるのか食べられないのかという、自分の生命線を左右する確認を、「いらないよ〜」と表明することで毎度確認してくる。大抵私はそう言われても、「しかしお昼までエネルギーがもたないと困るからちょっとだけ食べよう」と、申し出を振り切ることがもはやしきたりみたいになっているから、たぶん今回も「食べなくていいの?」とか、「少しだけ食べる?」とかを期待していたんだと思う。ちょっと残念そうな顔をして、でも「やっぱり食べる」なんてかっこ悪くて言えない王者獅子座だからぐっと堪える。けれど今日は確かに、歩く距離も短いし、きっと年輪を重ねた人たちと一緒にもっさもっさ食べるだろうからやっぱり朝は無しにしよう。王の誇りを尊重することにした。
年輪の人に会いに行く前に、今日は小さい人の6年契約の相棒を買いに行くから早めにバスに乗る。お気に入りの芝生パーク横のランドセルショップに寄って、オーダーを飛ばしてから義実家へ行くぞ。乗って、もう少しで着くというところで、肝心のチョコレートを忘れたことに気付いて慌てて降りる。ランドセルのことしか考えてなかったよ~。あと5分でやって来る向かいのバスを待ち、チョコを迎えに行って再度出発。やむを得ずタクシーに乗り込む。先日、相棒自体は決めておいたから今日は買うだけ。やっぱりかわいいぞ、小さい人と大きい人々の心を射止めた水色。ところで、小さい人の様子がおかしい。「しゃがみこんで疲れた…」とよぼよぼしているから、たぶんエネルギー切れだなと、SEVENTEENアイスを買って食べる。いちごアイスで、下がワッフルのやつ。食べ終わると、「アイス食べたら元気になった!」とわかりやすくスキップを炸裂させて、歩いて30分足らずの年輪の人の家へるんるん向かう。途中、「渡す練習する!」と、私の腕からチョコレートの紙袋ごともぎ取り、「ハッピーバレンタイーン!」と、エスパー伊東の「はい〜」みたいなポーズで決めてきてかわいい。
練習した通り、陽気なエスパーガールで「ハッピーバレンタイーン」と渡せて照れつつ満足そう。鶏きのこ鍋、お刺身、ワインでお昼から盛り上がり、話の合間に、「まいたけちゃんもお酒で赤くなるんだな」と、年輪の人に久しぶりに名前で話しかけられ、不意打ちでどぎまぎしつつ「あ、赤い?」と嬉しい。小さい人が参入してから、私は母親となり、年輪の人々からも「ママ」や「お母さん」と呼ばれるのが当たり前になって、私は「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ぶのが当たり前になった。別に自然なことで、決して悪い風に捉えているわけではないのだけれど、どこか、もう戻れないのだろうかという寂しさを感じていた。名札をそっと裏返されたような、ちゃんと居るのに電気を消されたような、「あっちょっと私!います!」みたいな、本当の自分は奥の方で手を振っているのに、表では「役割」が勝手にメインステージを歩いており、やきもきしていじけた。だから、今日の「まいたけちゃん」呼びは素直に嬉しかった。バックヤード勤務を終え、久しぶりに「まいたけ」が現場復帰して、身も心もまいたけ節で年輪の人々と映画の話、本の話、食の話ができた。肩書きなしで笑う感じが躊躇なく懐かしくて、まっすぐ軽い。「一緒に抱いて寝ようかな」と、年輪の人は甘い宝石をずいぶん眺めて、小さい人の「1こくらい食べなよ〜」も年輪仕込みの笑みで円満にかわし、結局ひと粒も減らさず愛で倒して箱を閉じた。
夜、「おじいちゃんほんとにチョコ抱いて寝たのかな〜?」と小さい人がにやけ、「ほんとに寝たかもね〜」と私もにやけ、記憶に残るバレンタインだった。

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この記事を書いた人

改善愛好家が、気付きや学びをもとに"より善く生きるコツ"を綴っています。
可笑しみのある人を目指しながら、未完成で進行中。

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