ライター歴3年の私が、打ちのめされた1冊。
とっくに倒れているのに、なおも鋭いパンチが繰り出される。当然もうダメだと思うんだけど、不思議と、立ち上がってやろうという力も湧いてくる。
「三行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾」は、そんな、読者に行動を起こさせてくれるエネルギッシュな内容になっています。
ライターになろうと踏み出す人。
ライターとして活動しているものの、イマイチ書けなくて悩んでいる人。
ライターではないけれど、日常的な文章をもっとうまく書きたいと思っている人。
そんな人へ贈りたくなる1冊です。
「三行で撃つ」あらすじ
30年以上文章を書くことで生き抜き、今は田舎で鉄砲撃ちの猟師もされている近藤康太郎さん。
この本は、彼が「ちょっとうまく書けたら」と思う人に向け、文章の書き方を綴った実用書です。
文章を書くことに似ているという「猟」をたとえ話に、基礎編、応用編、展開編と、プロ仕様のテクニックまで伝授してくれています。
豊富な経験を持つ近藤さんから繰り出される言葉は、グサグサくる。とにかくずばずば言ってます。
文章を書くだけだと思って、甘く見てはならんぞ!と、鋭い眼光が向けられている気がします。背筋が凍るというか、まさにこれから仕留められる獲物にでもなったような気分です。
だけどそんな中に、思わず笑ってしまうような一行がスッと現れ、肩の力が抜けたりする。
自分に対しての応援メッセージに違いないと思うような一行があって、胸が熱くなったりする。
失礼を承知で言えば、うまいこと言うなあ〜と。読みながら何度つぶやいたことか。
とにかく、「今の自分より、今の文章より絶対に良くなるはずだ!」と、どんどん燃えてきてしまうんです。
文章を書くなんて誰にでもできる。
だけどその誰にでもできることを、どのくらい真剣にやるのか。やれるのか。

ライターを生業にする人にとっては、自分の覚悟も再確認させられるような内容になっています。
「三行で撃つ」おすすめポイント
自分に足りないものと、やるべきことが明確にわかる
起承転結の書き方、辞書の使い方、言葉を磨くためにやるべきこと、その極意が余すことなく書かれていて、とにかく「文章」というものの基礎の基礎から教えてくれます。
そのため、今何ができていて、何ができていないのか。そして何をやっていくべきなのか。課題と改善策が明確になります。
私の場合、語彙が圧倒的に少なく、感情を一辺倒な言葉でしか表現できないのが課題でした。
それに対して取りかかったのは、文学作品を読むこと。
苦手意識があって避けてきてしまった日本文学。
読んでみると、鮮明に浮かんでくるほどの風景描写にときめき、何より、ひとつも端折らず見事に書き連ねてある感情の機微に、息を呑みました。
「嬉しい」でも、「寂しかった」でもない。その場面での物の見え方に、空気感に感情を乗せている。
われわれは、感情を文章で説明してはならない。(中略)
三行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾 / 近藤康太郎
われわれは、「説明しない技術」を、どうしても身につける必要がある。(中略)
<論>ではなくて、<エピソード>に語らせる。



人の心を揺さぶり、鷲掴みにしてしまう文章はそういうものなんだと、恥ずかしながら初めて気付かされました。
書く姿勢、生きる姿勢が変わる
そもそも「文章とは」「書くとは」「言葉とは」なんたるや、というお話が最終章で書かれているんですが、ここを読むとまたさらに背筋が伸びる。ネクタイの結び目を最後にきゅっと締めるように、気合いが入る。
それは、「いい文章を書きたい人間は、善く生きろ」という大きなメッセージが掲げられているからだと思います。
表現するために、この世におもしろさを発見する。
おもしろさを発見するために、感性を鍛える。
感性を鍛えるために、この世の中から学ぶのだ。五感をフルに使って。
自分にとって空がどう「青い」のか、よく観察してください。自分の頭で考え抜くんです。(中略)
三行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾 / 近藤康太郎
自分だけの言葉で描き出すのが、文章を書くことの最初であり、最後です。
今自分が見ている空を、私ならどう表現して相手に伝えるか。この風は、あの遠い雲は。
そんな風に、じっくり観て、感じていることを言葉にしようとすると、命をちゃんと使って生きている感じがします。
ただ通り過ぎるんじゃなく、感性を研ぎ澄ます機会をどんどんつくる。自分から変わっていく。
ライターとは、生きる人のことです。(中略)
三行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾 / 近藤康太郎
ライターは、君子たるべきだ。
書くとは、堂々と誰かに何かを伝えることだから、圧倒的に学び、考える、善く生きる人間でなければならないんですよね。よく考えたら当たり前のことなんだけれど、近藤さんに言われてハッとさせられました。
「三行で撃つ」私が学んだこと
常に読む、常に書く。常に取り込んで、常に生み出す大切さ。これに尽きます。
実は、日本文学を数冊読んだ時に、
読んでいるだけで自分の書く文章が変わるのだろうか?
本当に書けるようになるんだろうか?
と、ちょっと半信半疑になったんですね。
でも、数ヶ月読み続けていると「こんな表現、前の自分にはなかったはず」と思うような文章を書いてたりする。近藤さんが言うところの「女神」が降りてきているのかも…と思うことがあります。
でもその女神様、実によく監視していて、毎日読んで書いてを続けていないと本当に降りてきてくれない。
私は書くテーマが決まったら、文章を書き始める前に、マインドマップで内容の洗い出しをして構成を考えます。それが壮大なテーマだったりすると、整理に時間がかかって書き出せない。つまり文章を書かない日があるんですね。
毎日携わってはいるけれど、何も生み出していない。
こういう時、本当に書けないんです。しっくりくる正確な表現が出てこない。
だけど毎日少しでも、ちゃんと書くことを続けていると、すんなり出てきたりする。
習慣化の圧倒的強さを感じます。
ライターは、作家は、世間に向けて、他者に向けて、書くんです。なんとも音がしない、ブラックホールのような深い井戸に石を投げ込むのであっても、絶えず、倦まず、石を投げ込むんです。
三行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾 / 近藤康太郎
ちっとも結果が出なくても、読み続け、書き続ける。何かをできるようにしようと思ったら、ただただ練習する。
諦めずに立ち向かおうと思います。



三行で、「ノイジーな世界を黙らせる」
私が心打たれた一文です。
ぜひあなたも。

