イライラが原因なことはわかっていても、イライラしてしまう。
人間関係で後悔することが多い。
などなど、イライラをなんとかしたいのにできない…という悩みを持つ人のヒントになる本を見つけました。
僧侶であるアルボムッレ・スマナサーラさん著「怒らないこと」の第二弾。「怒らないこと2」です。
第一弾では、怒りとは?怒らないってそもそもどういうこと…?そんな内容と合わせて、イライラを治す方法を教えてもらいました。
第二弾はというと、生命や世界という広いテーマの中で、怒りの原因と、解決した先に何があるのか…そんなことを教えてもらえる内容になっています。
怒りを根本的に解決することが目的のため、原因が徹底的に分析されていて、正直理解するのが難しい部分もありました。
が、人それぞれイラッとする頻度も、その対象もさまざまな中で、どんな怒りでも終わらせることができると確信を持てたのは大きかったなあと思います。
幸せに生きたい。
優しい人、穏やかな人になりたい。
そんな人に勇気をくれる本。
私が思う大事なポイントをご紹介します。
怒らないぞと決めても怒ってしまう理由
今日は絶対怒らない。1日笑顔で過ごす。そう意気込んでみても、結局怒っている自分がいる…。
そうなってしまう理由は、結論から言うと、生命・世界の真理を知らないからです。
真理とは、「誰も否定できない、普遍的で妥当性のある法則や事実」ですが、基本はこれに尽きると思います。
意志が弱いからとかではなく、どういう仕組みの世界に生きていて、人間とはどういう生き物なのか、大前提の話を知らないからなんです。
知れば、なぜ怒ってしまうのかが理解できて、そうならないための間違いない対策を打つことができます。何も知らずに、ただ気合いだけでどうにかするには手強すぎる相手なんですね…
「怒らないこと」は人が生涯をかけるにふさわしい、人生の目標とするに値するテーマなのだということをおはなししたいのです。
怒らないこと2 | アルボムッレ・スマナサーラ
スマナサーラさんも、長い道のりになることを明言しています。

先を急がず地道に、気長に進めばいいんですね…!
イライラしないために知っておくべき真理
世界も人も不完全である
これは、世界も人も「変わり続けている」という事実がその結論を導いています。
仏教的には、「無常」と言うそうです。
例えば、自然が育ったり、枯れたり、増えたり、減ったり。
晴れる日があって雨の日がある。
人がどんどん老いて、いずれ死ぬこと。
気分がコロコロと変わったり、昔嫌いだったものを好きになるというのも心という軸での変化です。世間で流行るものも目まぐるしく変わっていきますよね。
完全であれば変化する必要がなく「不変」「現状維持」で成り立つはずで、でも実際は全てが変わり続けている。
これは不完全だからという理由に尽きます。
つまり、人は「不完全な世界に、不完全な1人の人間」として生まれてくるということ。
生きる世界自体が不完全なのだから、どう頑張って生きようと人は不完全。
ここで誤解してはいけないのが、問題は不完全なことではなく、「不完全だという大前提を知らずに生きること」なんです。
知らないから、自分は正しい人間で、完璧なのだと思い込む。上手くいくと思い込む。でも現実は上手くいかないから、そこで怒りが生まれてしまうんです。

そもそも不完全なんだからと知っていれば、「まあみんな不完全だし」「完璧なんてないし」と、イライラは最小限で済みますよね…!
生きることはそもそも「苦」である
生きることって苦しいですよ〜と明言されるとちょっと絶望しますが、感覚的に苦しいものだよなあとみんな思っているのではないでしょうか。
これは、物理的な意味でも、心理的な意味でも、常に「苦」であるというのが事実です。
【物理的】
立つ
↓
時間が経つにつれ、足が疲れてくる (=苦の状態になる)
↓
座る
↓
時間が経つにつれ、腰やお尻が痛くなってくる (=苦の状態になる)
座った時は体が楽になりますが、楽な感覚はいずれ消え、また苦に戻ります。空腹と食事の関係も同じです。

苦を行ったり来たりしているだけで、苦に踊らされているような状態なんですよね。
【心理的】
良いことがあって最高の気分になる
↓
仕事でトラブルが起きる
↓
対応に追われ、焦りやイライラが沸く (=苦の状態になる)
↓
解決して安心する
↓
帰り道、傘がないのに土砂降りにあう
↓
スーツがびしょびしょになりイライラが湧く (=苦の状態になる)
あまりに散々な例じゃないか!と思うかもしれませんが、それくらい心もあちこち揺れ動くんです。最高から最悪の気分になることは稀でも、ずーっと最高が続くわけではないですよね。
新しく買った服も、最高の気分で着られるのは最初だけ。10回目に着る時は、服も心も真新しさがなく、もしかしたらちょっとほつれたりして、だいぶ気分が落ちているかもしれません。
つまり、体の感覚、自分に起こること、全て希望通りにはいかないのが当たり前ということなんです。
すべてのものごとは、希望どおりにいかない、因果法則のとおりに流れるのみ。
怒らないこと2 | アルボムッレ・スマナサーラ
変化を続ける生き物としては当たり前の現象ですが、これを知らないと「頑張ってるのになぜ思う通りにいかないの?!」というイライラが間違いなく生まれます。変えられない事実なのに抗い続けることになるので、怒りは減らなそうです…

何も管理できないのだということ、希望通りに行くと思うこと自体が間違っていることを理解しなければいけないですね。
自我は錯覚である
自我とは、他者と区別するための「自分」のことですが、自分だと思っている体も「感情に飲まれるし、病気にはなるし、老いてもいくし、管理できないんだから有るように思えて無いものだよね」ということを言っています。なんだか難しい感覚ですよね…
ここでは、錯覚だと知らずに生きると厄介ですよー!というお話をします。実は、人付き合いを難しくさせているのが「自我」なのです。
当たり前ですが、自分以外は他人。自分とは「違う」というのが大前提。共感を求める人間にとっては対極の相手ばかりということになります。
ということは、どうしたって「敵」になり、基本ファイティングポーズになってしまうんですね…
あれも違う、これも違うという事実から、「合わない」とか「気に入らない」という気持ちが芽生えやすいので、努力なしで仲よくするのは難しいんです。ちょっと悲しいですね…
でも、もうそういう仕組みになっているので、自我を持たないというのは無理な話なのです…
だからこそ、「自分」という殻をつくった時点で他人と分かれてしまう、それが関係性を上手く築けない原因になるということを理解しておくことはとっても大切だと思います。人は1人で生きていくわけじゃないですもんね。
真理からわかること
お話した3つの真理からわかることは、「人は生まれつき怒りを持っている」ということです。
例外はなく、イライラと無縁そうな穏やかな人でもイライラはあって、むしろ無ければおかしいという話になります。
誰もが「怒り」という感情を持っているのに、人は「希望が大好きな生き物」なので、そうじゃない現実を見てはイライラして、大袈裟ではなく「怒りの人生」を歩んでいます。
そもそも希望通りにいかず、管理などできない世界にいることを理解して生きられれば、イライラは減っていくはずです。
真理を知ると、なぜイライラしなくなる?
生命・世界の真理を知ったからって、日々のイライラが減るとは思えないという人も多いと思います。
真理を知ることが、イライラを減らすことにどう繋がるのかと言うと、「慈しむ心が育つ」ということに繋がってきます。
慈しむ心とは、「愛情を持って大事にする心」のこと。慈しみ、慈愛と言ったりもします。
慈しむ心が育つことで、周りのおかげで生きていること、生かされていることに気付き、自動的に感謝が生まれてくる。つまり、真理を知ると、怒りと反対の感情「喜び」が増えていくということなんです。
全てが不完全で、生きることは苦しいという真理を知れば、みんながみんな苦しい中、それでも必死になんとか生きている。自分と同じように、幸せに生きるために一生懸命なんだ、同志なんだという気持ちが湧いてきませんか?
誰もが自我を持っていて、無意識に敵対心を持ってしまうという真理を知れば、みんな自分が1番大切で、自分の欲や目的を満たすために生きているのに、困った時は協力してくれて優しいなあと思える気がします。
みんな、自分の大切な家族や友だちには慈しみの心を持っていると思います。
でも、人生はいろんな人と関わるわけなので、もっと広く捉えていかなければいけないですよね。
そのための方法、=応用が利く方法が、生命や世界の真理を知ることなんです。
怒らない性格とは、真理を理解することによって、智慧によって、おのずから現れてくる人格です。
「慈しみは当たり前」ということを、智慧で、理性で理解しておけば、おのずから慈しみが生まれてきます。
怒らないこと2 | アルボムッレ・スマナサーラ
怒らないようにするぞ!と頑張っても怒ってしまう理由は、ここに繋がってくるんですね。

私も、慈しみの心を育て、生きとし生けるものの幸せを願える人間になれるよう頑張る所存です…!
怒りを終わらせる!慈しみを育てるために心掛けること
いつも真理を意識して生きる
これは「いつも」というのが特に大切。
いつも意識するのは大変だし、イラッとしてしまった時に思い出して軌道修正すれば良いんじゃない?と私も思っていたのですが、やってみるとそれがなかなかできなくて。汗
イライラの度合いが大きいと、真理を思い出そうとする間もなく飲み込まれてしまうなあと…
本気で向き合うなら、思考を入れ替えるレベルで取り組まなければいけないことを実感しています。
この世界は希望通りにいかないのが当たり前。みんな苦しいけど必死に頑張ってるんだ。そんな感じで、怒りを小さく、どんどん減らす思考を習慣にできるといいですね。
「心の明るさ」に敏感でいる
感情は大きく「喜び」と「怒り」に分けられますが、この2つは共存しないため、単純に怒りが増えれば喜びが減ることになります。
なので怒りが生まれたらすぐに治める必要があるわけですが、そのためには瞬時に気付かなければいけません。
そこでわかりやすい目安になるのが心の明るさ。
今幸せだ!今最高だ!と思えるかを自分に問うことで、怒り=暗い感情があるのか気付けます。
思えるなら怒りはないし、少しでも躊躇するなら怒りがあって、明るい状態ではないということになります。
少しでも陰りを感じたら治める。心の明るさに敏感でいる必要があるんです。
一旦動作も思考もフリーズさせる、とりあえず笑うなどの対処法も取り入れながら、心を喜びで保つ努力が欠かせません。
怒らない人を目指すのは、幸せな人生に欠かせないこと

怒りと向き合うことは並大抵のことではありません。
正直なところ、怒らないことを目指しても目指さなくても、実際生きてはいけますから、いつだってやめられてしまうというところがより難しくしていると思います。
そもそも強制されてもいないわけで、自分の意志が無くなればおしまいです。
でもだからこそ、人生の目標に値するテーマであり、心を育てることなのだと思います。
なぜイライラを減らしたいのか、なぜ穏やかな人になりたいのか、目的は人それぞれだと思いますが、「幸せな人生にしたい」というのが共通の想いですよね。
怒りをなくすことは、それに直結していると、この本から学びました。
病気を治せる薬をやっと見つけた…!私はそれくらいの感動でいっぱいです。
少しずつ理解を深め、一歩一歩怒らない人へ、慈しむ心で満ちた人になれるよう頑張ります。
幸せに生きるために、同志のみなさん一緒に頑張りましょう…!
