私の好きな食べ物について。②

海辺で微笑む女性

これから、今ここで、私まいたけの好きな食べ物は何か?という問いの答えを見つけたいと思う。約半年ほど、好きな食べ物のことばかり考え続け、実際に食べては確かめ、ひた走ってきた。最終的に8この食べ物たちが名を連ねているが、まだ1番は決まっていない。私自身もどんな結末になるのか楽しみだ。なんのこっちゃという読者さまはぜひ①の記事から読んでいただけたらと思う。

もくじ

私の好きな食べ物たち。

明太子

めちゃめちゃ辛い明太子も、辛さ控えめの明太子も、生でも焼いても、しっかり料理されても明太子が大好きだ。そもそもあのぽてっとした愛らしい姿にきゅんきゅんするし、なんの抵抗もしようとしない雰囲気でじいっとしているのに赤色で己の強さを主張している風もまたかわいい。私は新潟の生まれでわりと海に近いところで育ち、父はずっと海産物の卸売業に携わっているのだが、子どもの頃から明太子やら塩辛やら、お正月の時期にはカニやいくらを持ってきては食卓が海祭りになり食べ切れなくて小さい冷蔵庫は悲鳴をあげていた。生ものを嫌がる子どもも多いと聞くけれど、私は幼少期から慣れ親しんでいたからかそういうお酒の肴になりそうな渋いものが大好きで、忙しすぎて家にほとんどいない父をあまり良く思っていなかったがおいしいものを持って帰ってきてくれるのは嬉しかった。母も「また!?」と、勘弁してよーの雰囲気を出しつつも、スーパーで買うにはちょっとお値段が張るものだからやっぱり嬉しそうで、父のおかげで頻繁に海の物のおいしさを噛みしめることができたのは有り難かったなと思う。私は中でもほっかほかのごはんに切った生の明太子をどんどん乗っけて食べるのが大好きで、いつも焼いてこんがりさせようとする母に焼かないでくれとお願いしていたような覚えがある。焼かない方がつぶつぶがしっとりと繊細でごはんによく馴染むのだ。
実家を出てからは明太子ごはんを食べることもなくなったけれど、コンビニで明太子スパゲッティや明太子おにぎりはよく買ったし、大学生の頃はすき家の高菜明太マヨ牛丼にハマって週の半分は通っていた。考えてみると、ごはんにも麺にもパンにも好かれる海の物って明太子が代表なんじゃないだろうか。そう言う私もいい大人になり、炭水化物を控えるようになったら明太子から随分遠のいてしまったのだけれど、去年家族旅行で博多にもつ鍋を食べに行こう!ということになった。もつのことを考え出したらよだれが出てしまうほど楽しみで、私以上にうきうきしていた家族はお店をしっかりリサーチして堂々開店の時間を押さえた。小さい家族もいたからしょうゆ味よりもあっさりとしたしゃぶしゃぶ風という、唐辛子もにんにくも不使用のもつ鍋にしたのだけれど、物足りなさなど感じることなく、むしろ薄口しょうゆベースのだし汁がもつそのものの味を引き出しまくってこれぞもつ鍋という味わいでぶったまげる。味噌味も魅力的だったが、もつに焦点を合わせた我々には優しさのしゃぶしゃぶ風で正解だったと思う。さてせっかくだし本場の辛子明太子も食べようということでお酒のアテに1つ頼むと、申し訳ないがこれがもうもつを超える感動で、無理無理ごはん頼まないとか無理ー!となってごはんも頼み、明太子も追加して大盛りを2杯平らげた。辛さ強めの明太子だったのだがしっかり旨みがあって、胃に落ちるまでずっと刺激的でおいしい。ガツンとしたしょっぱさもごはんが活きて最高だった。きっとあの頃の平凡な、だけど今でも蘇る眩しい思い出にも後押しされたんだと思う。
博多に行ったら絶対買って帰ろうと思っていた明太子のぷちこさんキーホルダーは大人気で店舗にはなく、「オンラインで買ってくださいね」ということだったから帰りながら地元にいる親友の分までポチッとして、今は私のキーケースと共に揺れている。

半熟ゆでたまご

料理が苦手な私も冷蔵庫に卵さえあれば何かしら施せるから週に1回20こくらいの生卵を買うのだが、結局ゆで卵ばっかり生成して食べている。1日1〜2個が摂取量の目安だと聞くからなんとか2個で我慢しているけれど、本当はもっと食べたい。固ゆでの卵も好きで、おでんにあるがっちりみっちりした卵も飲み込みづらさを楽しんで食べられるのだが、やっぱり好みは半熟だ。まずそもそも半熟という響きには人をうっとりとさせる魅力がある。半熟と聞けばとろけるようなものを想像してたまらなくなるし、半分しか熟していないという未完の雰囲気を出しながらもいざ口に入れてみると未完という完成品であったことをまざまざと見せつけられてお手上げ状態だ。昔、半熟カステラや生カステラという、考えただけで悶えそうなカステラが出た時はもうデブフラグが立って、半熟生カステラなるものを見た時はその響きだけで未知なる世界を想像してくうぅぅーとなった。今もなお生キャラメルや生ドーナツ、生食パンなど生がつく食べ物が人気を博しているのを見ると、どうやらみんなとろけるものが大好きだしむしろとろけたいのだなと思う。生という言葉は確かに半熟以上に脳を揺さぶってくる気がする。考えた人は本当にすごい。あえて、生とはかけ離れた物につけることで、一体どんな代物かとドキドキワクワク感を掻き立てられる。人間の心理を熟知しての犯行だろう。やられた。と話は逸れたが、私は卵に関しては生じゃなく半熟推しでいたい。白とオレンジのコントラストを目で楽しみながら、黄味の固いところととろっとしたところのバランスを口の中で感じるのが至福の時である。

チーズ

チーズと言っても幅広いけれど、私はチーズなら何でも好きだ。白ワインと一緒にそのまま楽しむチーズも、ピザやトーストの上でぐでとろっとするチーズも、プリングルズやじゃがりこのチーズ味だって好んで食べる。無類のチーズ好きだと思う。毎日必ず食べる物に納豆があるのだけれど、納豆にとろけるチーズをかけて温め、刻みのりに醤油か、大胆にケチャップをかけて食べるのがお気に入りだ。そういう食べ方はちょっと…という人も多いかと思うが、とろけるチーズを切らしてしまっている時は買いに出るくらいなくてはならない存在で、納豆に負けていないチーズのチーズらしい臭さと、納豆とまみれたことによって生まれた臭さに痺れる。納豆側からしたらちょっと不本意だろうなと思ったりするけれど、これは2人の引き立て合いが見事だからこそ成り立っている。ほどよいバランスで主張し合い、1つの作品として完璧なのだ。
この間家族と、頂き物のワインで久しぶりにチーズワイン会をしようということになり、いろんな種類のチーズが1つのパッケージになっているチーズアソートを買った。何度も食べたことがあるからいたって普通に手を伸ばしたのだが、コルビージャックをかじった瞬間そのもんちゅもんちゅとした食感のたくましさと、口も鼻も脳内までもぶわぁっと広がり尽くすチーズ感に、眠りかけていたチーズ魂が目を覚ました。このところ、納豆チーズだチーズオムレツだのと、チーズをどこか脇役として接していたようなところがあったから、チーズの存在そのものと久しぶりに向き合ってはっとさせられた。そうだ、誰かに頼らずしっかり自立し、己の身ひとつで勝負できるのがチーズで、私はその味のインパクトに惹かれたのだ。各々個性が強くてその分刺激も強めなのだけれど、時間をかけて熟成した彼らは濃ゆく深みがあって、また会いたいと思わせてくれる存在感がすさまじい。一緒くたにされがちな性質とはいえ、それぞれが孤高の発酵マスターとして堂々と君臨しているのだ。かっこいい。私は自分が思っている以上にチーズが好きだということを知った。

春巻き

あの頃の私が好きだった中華料理ベスト3には入っていなかったが、現在の私は春巻きが1番好きだ。食べる頻度で言えばたぶん3ヶ月に1回とか、もしかしたら半年に1回とかで、それって好きって言えるのか…?とやや疑問に思わなくもないのだけれど、好きだと断言できる理由が2つあるので説明させてほしい。まず、私は春巻きを前にするとお腹と胃の辺りがざわつき始め、ぐおぉぉーっと食べたい衝動に駆られる。きちっと巻かれ、160℃という揚げ物にしては低い温度で揚げられ、薄い皮がぷんっと膨れた春巻きの「パリッとろ〜」を想像するだけでのどが鳴ってしまう。パリッとろ〜は無敵なのだ。実際、パリッも、とろ〜も持ち合わせている食べ物って他にあんまり思いつかなくて、マックのホットアップルパイや三角チョコパイを思い浮かべたけれど、カリッとかサクッの方が近い感じがするから実は似て非なるものだ。そうなってくると、あそこまで食感の両極を体験させてくれる物って結構貴重な気がしてくる。とは言え、夕食で余ってしまって冷蔵庫で一晩過ごし、レンチンしたら油が染み出してふよっふよになった春巻きも、よくお弁当にリクエストしていたくてんとのびた冷食春巻きも私は大好きだ。出来立てじゃない状態をも好きだと言えるならばそれはもう絶対好きな物だと思う。
出来立てで思い出したけれど、ある時家族に出来立ての春巻きを食べさせたいと思い立ち、めちゃんこ苦手な揚げ物を四苦八苦しながら作った。1年に5回くらいしかしない揚げ物イベントだからたくさん作るぞと意気込み、結局15本の春巻きを揚げ切った。6本は夕食に、残りの9本は翌日のおかずでもよし冷凍するでもよしのつもりでいたのだけれど、こんがり揚がった春巻きたちを見ているうちにあろうことか9本たいらげてしまい、それでもまだいける的な威勢を示す胃袋に自分自身が驚いた。もちろん、いろんな意味でもうやめておきなよと止めに入る自分もいたし、やめようやめようと思う自分もいたのだが、結局、頑張って作ったんだからいいよねいいよねとゴーサインを出す自分がいた。家族の分にまで手を出さなかったことはよくやったと言いたいけれど、それにしてもとんでもないよなと思う。私、めちゃめちゃ春巻きが好きだ。じゃあそこまで大好きな春巻きをなぜ1年に数回しか食べないのか、それは2つ目の理由になるが、春巻きへの好きはたぶんオタク的好きなのだと思う。好きすぎるあまり、安易には近付けない。お惣菜コーナーで目が合っても、今日の夕食は春巻きにでもしようかみたいな感じで気安く手に取るなんて、なんかもったいなくてできない。もっとこう、「本日は春巻きの日といたします。春様に失礼のないようみな心してかかれよ」みたいな、そういう一本気な気持ちで向き合いたいと思うから、逆になかなか機会を持てないのだ。好きとはなんと複雑なものよ。限定グッズを買うために行ったのに、なんか今買うのはもったいない気がする…みたいな謎の理性が働くオタクのような気持ちだ。

チキン南蛮

自分の中でチキン南蛮が好きな食べ物だった時代というのが記憶にないから、好きになったのはここ1〜2年の話だ。ある日、和定食を食べに行き、普段の自分ならばからあげ定食とか魚定食とかを頼むのだけれど、その日はなんだかピンと来てチキン南蛮定食を頼んだ。あまりに久しぶりのチキン南蛮な気がして、はてなんでだろうと考えてみると、食卓にチキン南蛮が並んだことがないからかもしれないと気付く。記憶の限り、私は母やおばあちゃんのチキン南蛮を食べたことがない。初めて食べたのはきっと給食だっただろうし、家で出ないのだから外食した時に注文しなければ食べることがなく、自分の中でも「作って食べる物」みたいな感覚がなかったからお目にかかる機会が少なかったのだ。そうかそうかと納得し、今日はなんかこうガツンと甘酸っぱさが欲しい日なんだよな〜と気持ちを高めて待っていると、茶色と黄色のコントラストがバチっと効いたチキン南蛮定食が運ばれてきてついよだれが出そうになる。肉はこれでもかと甘酢をまといテッカテカで、タルタルソースはゆで卵の白身部分がしっかりめに残り「食べるソース」くらいの存在感だ。さあ肉とタルタルソースの配分を全体的に整えて、いざ幸せの絶頂へ…!肉が隠れるほどタルタルを乗っけ、箸がやや重みに耐えられないくらいの雰囲気があったから一気に放り込む。痺れるほどの肉の甘酸っぱさを全身で感じつつ、後からたまご感強めな優しい甘さのタルタルがやって来て、最高の中和が口の中いっぱいに広がる。このチキン南蛮、私の好みど真ん中すぎるっ…!あまりの傑作っぷりにもう言葉が出なくて顔のパーツが全部中心に寄るも、こうしちゃいられん…!と白いごはんもぶち込む。ふっ…ふっ……..もう完璧すぎて謎の笑いが漏れる。おいしすぎて飛ぶどころかもはやおいしすぎてログアウト状態だ。こんなにも白いごはんが喜ぶ相棒って他にあるだろうか。チキン南蛮を前にはからあげもとんかつも焼肉も打つ手がない。こうして図らずも私の好きな食べ物となり、最終選考にまで勝ち残ったチキン南蛮選手。最近では厚揚げすらチキン南蛮風にして食べるくらい大大大好きになってしまった。

カニクリームコロッケ

コロッケの中で何が1番好きかと聞かれたら、間違いなくカニクリームコロッケと答えるし、子どもの頃もそう答えていた。中学生の頃、近所にどでかいスーパー兼ホームセンターみたいな店舗が建って、そこのお惣菜コーナーで売られていた「昔ながらのコロッケ」という、ほぼじゃがいもだけで作られた甘めのコロッケにその座を奪われかけた時期もあったけれど、ひとしきりハマってやっぱりカニクリームコロッケに戻ってきた。1個28円という家計に優しすぎる価格だったこともあって長らくお世話になったが、のっぺりした衣に甘いじゃがいもが素朴で、良い意味で驚きのない味にどこか退屈してしまい、ずっと変わらずおいしかったけれど気付けば足が遠のいた。常時刺激的じゃなくとも、何かおぉっ…!と思わせるような意外性というか、物語で言えば山場が欲しいものなのだと思ったし、たぶん母も同じ気持ちだったんじゃないだろうか。あのコロッケは、食べ物が溢れる時代に生きている私には優しすぎた。
昔一人暮らしをしていた頃、近所のオリジンにカニクリームコロッケが売られていたのだが、でん!と立派な見た目通り厚めの衣はザクッザクで、中のカニクリームは重ためにとろりとしていて、その食感の忙しさにまんまと虜になり食べ続けた。冷めていても揚げ物の良さはしっかり健在だし、大きめのサイズだから食べ応えもあって、後半は中濃ソースをかけて食べるのがお気に入りだった。見た目の強さに反してとろんと眠たくなるようなカニクリームの甘さに、ソースの酸味とスパイシーさがぶつかってハッとさせられる。おやつのような感覚だったのに、しっかりごはんにも合うおかずに変身している…!なんと華麗な…!こんなのもうエンドレスでいけるに決まっている。それにしても、春巻きのパリッとろ〜も無敵だが、カニクリームコロッケのザクッとろ〜も堂々無敵だ。だけどじゃあザクとろならどんなコロッケでも良いのかと言うとそうではない。ちょっと前、頂き物のカニほぐし身を使って小さな家族にカニクリームコロッケを作った。ホワイトソースを作りすぎてカニとのバランスが微妙だったから、半分はカニクリームコロッケ、もう半分はただのクリームコロッケにした。するとどうだろう。ザクッとろ〜は難しかったが上手いことサクッとろ〜なコロッケには仕上がったのに、クリームコロッケの方はどうも感動が薄く、おいしいのだけど平坦な味で、小さな家族もカニクリームコロッケの方がおいしいと言う。これはやっぱり、カニがカニとしてカニの役割をしっかり果たしてくれたからではないだろうか。海の物が持つ独特の濃ゆさがホワイトソースに奥行きを出して、どっぷりと深い味わいにしてくれる。口に入れた時の感動は、海のエキスのおかげで胃に落ちるその瞬間まで続く。ああ、蟹様…
ややこしさ抜きにシンプルに生きたいタイプではあるけれど、食に関しては複雑さが重要らしいことに気付いた。

グレーズドドーナツ

巷では、グレーズドドーナツと呼んだりグレーズドーナツと呼んだり分かれるらしいが、特に使い分けはなさそうだったから自分的にしっくりくるグレーズドドーナツで呼ぶことにする。いわゆる、砂糖でコーディングされたドーナツのことで、見た目はてかっと艶やかで色合いは半透明か乳白色くらい。噛んだ瞬間はシャクッとしたシュガーがお出ましするがその後ドーナツのふわふわ感やもちもち感、ザクザク感が大いに歯を楽しませてくる。甘い甘〜いシャクふわっ、シャクもちっ、シャクザクッが口の中で踊りまくり、脳内はドーパミン祭りでさんざめき、私の場合はどっかのねじが弾け飛んだかと思うくらいに歯止めが効かなくなるのだからこれはもう禁断の輪だ。思い返せば、子どもの頃からミスドのハニーチュロをこよなく愛し、母の影響を受け黄色のつぶつぶをくまなくまとったゴールデンチョコレートにしばらくハマったけれど、自然とまたハニーチュロに落ち着いた。大人になってからもハニーチュロは常にスタメンで、他に選ぶとしてもノーマルなポンデリングやフレンチクルーラー、オールドファッションハニーなど、基本的に砂糖コーティングされたドーナツで、それはミスドだけにとどまらない。ジャックインザドーナツならクロワッサングレーズやプレミアしっとリング、スターバックスならシュガードーナツを頬張る。シンプルな砂糖なのだけれど、全く容赦のない甘さがビンッとメーターを振り切ってもはや罪悪感すら感じない。しっかり油に浸かったものをさらに砂糖漬けにするなんてよく考えたらもう絶対カロリー爆弾なのだが、メーターもバグったし「普段運動してるからいいよねっ」と自分にもあまあまな私は当たり前のように2こ3こ食い尽くしている。
我が家は週に1回ハレの日を設けて好きな物を食べに行くというイベントを開催しているのだけれど、一時期毎週グレーズドドーナツを貪った。たった1こで、このたぎりまくるグレーズド欲を満たすことなどできずじゃかすか食べ、ブラックコーヒーが合いすぎてまた食べた。幸せの鐘の音を聴きながら、遠くの方でデブ確定のサイレンも鳴り響いていたけれど、私はそれでも手を止めなかった。

きなこ

きなこって、あの粉のきなこですか…?と聞かれたら、自信を持って「はいそうです!あの大豆の粉です!」と答えられるほどきなこが好きだ。きなこと言えばスーパーや和菓子屋さんで完成品が売られているし、確かにきなこ味のチョコレートとかお煎餅とかも大好きで買ってしまうけれど、私は結構粉そのものが好きだ。小さな家族が好きだからというのもあるのだがきなこは常備してあって、買い物履歴を見たら月1くらいでは買っている。使い道は主に、ホットバナナのはちみつきなこがけ、カリカリ厚揚げのきなこあえだ。きなこにラカントと少量の塩を加えて混ぜたものを惜しみなくかける、そして食べる。う、うまい…。きなこのおかげであっという間に上品な和の世界に引き込まれる。だが、だがだが、ちょっと恥ずかしいのだけれど、実は私はその後、余ったきなこをスプーンで静かに食べるのが最高に好きなのだ。なにしろ、余らせるために多めに作る。細心の注意を払わなければ鼻息でふぁっさ〜と飛んで、おろおろしているうちに手に持ったスプーンのきなこもぶちまけてしまうことになるし、ちょっとでもふざけた感じで食べようとすればぶふぉっとむせてしまうから、口に入れるその瞬間まで息を止め、集中してゆっくりそーっと運ぶ。瞬時に鼻息に切り替え、なるべく唇を閉じ、粉が沈黙したのを確認できたらようやく味わう。唾液機能がしばらく作動できないレベルで、上あごも舌も歯も歯茎も全部むっちょむちょになるけれど、それもひっくるめておいしい。なにしろ、粉の粉らしさが消えていく過程にこそきなこの本領が発揮され、どんどん輪郭がはっきりしておいしさが増してくる。塩を少し入れることで甘みの中に時折しょっぱさが顔を出して、味がキリッと締まるからもう病みつきだ。とは言っても、原料が大豆ということもありすぐお腹が膨れるから、実は少ししか食べられないというのも、和の物らしい控えめな感じが出ていて好感を持てる。最近は小さな家族も一緒になってシメのきなこを楽しみにしているから、バナナと厚揚げの立場よ…と思うが、それくらいきなこが完全に主役なのだ。にしても、ちょっときなこへの想いが過ぎるなと不思議に思って考えてみると、きなこは私にとって郷土の味だったということに気付く。
子どもの頃からお正月のお餅と言えば、ゆで餅にきなこをかけるというのが我が家のしきたりだった。新潟全域がそうではないだろうが、祖父母の家でも当たり前のようにそうだったし、一応あんこも用意してくれていたのだが私は飽きもせず一途にきなこで食べた。ふよんふよんのお餅にきなこを山盛りにして、割合で言えば3:7くらいでほぼきなこにするのだけれど、それでも途中追いきなこをして、ほぼきなこしか食べていなかった。私の中ではお正月=きなこ、ときどき餅。みたいな認識だったのだと思う。そして、新潟の郷土料理に三角ちまきという、笹に包まれたゆでただけの餅米があるのだが、それもきなこをさらさらとかけて食べる。笹団子に比べれば知名度は低いけれど、私はこの三角ちまきを溺愛していて、家庭を持ち遠方に引っ越してからも母がどっさり送ってくれるほどだ。細かい粒の餅米がコシヒカリの名にふさわしく光り輝き、旨味もぎゅっと詰まってこれがまたきなこと合う。この三角ちまきに専用のきなこが付いてくるのだけれど、砂糖の分量が絶妙だし、私的にはこのきなこが1番きめ細かく滑らかでおいしいと思っている。…と、話せばきりがないのだが、きなこは私の幼少期から青春時代まで離れることなく定期的に現れ、その存在感を確実なものにしていったらしい。ただおいしいだけではなく、あの頃、あの場所で食べていたなと記憶が掘り起こされ、畳の匂いにほっとするように懐かしさがむくむくと蘇る。私にとってきなこは、帰る場所なのかもしれない。

私の好きな食べ物。栄光に輝いたのは…

さあ、精鋭たちが出揃ったところで、結局私が1番好きな食べ物は何なのかを自分の心にしっかり問うてみる。好きな食べ物を決める時に大切なのは、その食べ物が好きな自分を自分が好きなのか?ということだと古賀及子さんから学んだ。散々思考して集めた者たちを、今度は口に出して宣言するという行動に移すことで感情に働きかけ、これだと思う者を私の好きな食べ物として公言したい。

「好きな食べ物は明太子です」
海と一緒に育った人生に何だか誇りを感じる。明太子絡みの物も大好きで…と話をぐいんぐいん広げられそうな感もあって希望の味もする。

「好きな食べ物は半熟ゆでたまごです」
間違いなく大好きなのに、私という人間の半分しか説明できていない感じがしてちょっと寂しい。

「好きな食べ物はチーズです」
どんなチーズも大好きだけれど実はクリームチーズだけ体に合わないということが、チーズに受け入れてもらえていない自分、みたいな自信のなさをほんのり生む。

「好きな食べ物は春巻きです」
想像だけで満足しちゃっている自分がいる。ちゃんと胸を張って好きだと言えるくらい食べなきゃ申し訳ない。

「好きな食べ物はチキン南蛮です」
食欲がとめどない。なのに、深さが子ども用プール並みで派手にケガしそう。もう少し時間が欲しい。

「好きな食べ物はカニクリームコロッケです」
前のめりなリズム感がいい。でもやんちゃ坊主な語呂に30代の私は圧倒されて最後まで言い切れない気がする。

「好きな食べ物はグレーズドドーナツです」
大大大好きなのに、グレーズドの部分にオシャレさが漂ってややたじろいでしまう。私はもっとひたむきさを出していきたい。

「好きな食べ物はきなこです」
1番私っぽい気がする。でもなんだろう、まだフレッシュな自分でいたい。熟れ頃になった時にしっくりきたらいいなと思う。

ようやく見つけた。いや決まった。
今日から私の好きな食べ物は明太子にする。

正直なところ、1番はグレーズドドーナツではないかと予想していたものだから、そう来ましたかとめちゃめちゃ驚いている。実際、7つの軸全てに◯がついたのはグレーズドドーナツだけだったし、この記事を書きながら最高にわくわくしたのもグレーズドドーナツだ。でも、ちゃんと宣言してみて、自分はどの自分が好きか?自分らしさは?ありたい自分は?と考えてみると、不思議と秒で答えが変わった。結構断トツで明太子かもしれない、と思った。いつだって食欲をそそり、食べればしっかり幸せな気持ちにしてくれて、何より小さい頃から自分の人生に深く交わってくれている。そして、明太子という名よ…。由来は、原料であるスケトウダラを朝鮮で「明太」(ミョンテ) と書き、その「子ども」だから明太子と名付けられたそうだが、私にはこう思える。明るく、太く、子どもの心を忘れずに。なんと、覚えておきたい教訓が詰まりまくっている。図らずも、私のありたさが全てここにあったのだ。探し求めていたものはこんなにも近いところで手を振ってくれていた。そして、探して探して探し続けて、ここぞというタイミングで見つけてしまった。意味のある偶然の一致とはこのことか。次々とことさら重要な気付きで盛り立ててくるなあもう。きっと、博多の明太子キャラクターぷちこさんのキーホルダーを買った時にはもう答えが出ていたのだろう。

兎にも角にも、私の全人生を背負って一緒に歩んでくれることが決まった明太子に敬意を表し、激励を送りたい。共に生きようぞ。

まいたけ

そして、好きな食べ物とは単純なようで実は奥深く、自分自身と深く深く向き合わせてくれるものだと教えてくれた古賀及子さんと、一緒にこの結末を迎えてくれた読者のみなさまに心より感謝する。

プリーズ シェア!
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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

いつだって心穏やかな人でいたい。生きることに、シアワセな気持ちで取り組みたい。そんなお仲間を見つけられたら嬉しいです...!

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