古賀及子さん著書「好きな食べ物がみつからない」を読んで私も今1番好きな食べ物を見つけたいと意気込んだのだが、この世に好きな食べ物がありすぎて、というか好きってなにー!とにっちもさっちもいかないから古賀さんも使用していた#食のプロフィール帳を書いてみることにした。食べ物の趣味趣向だけを棚卸しできる優れものに身を預け、現在の私が好きな食べ物について、あの頃の私が好きだった食べ物についてざっと洗い出してみる。すると好きな食べ物の大枠と方向性が浮かび上がり、ざっくりと、①素材そのもの系、②ご飯系、③スイーツ系、④お菓子系 の4つにカテゴリー分けできそうだなとさらに整理する。とは言え、そういえばこれも好きだあれも好きだと #食のプロフィール帳ではあぶり出せなかった好きな食べ物たちもうじゃうじゃ寄ってきて、各カテゴリーに10こくらい並んでしまったから困った。好きな食べ物じゃなくて、いっそ好きな素材、好きなご飯、好きなスイーツ、好きなお菓子とそれぞれに1番を決めたら良いのではと思うほどだが、そこは好きな「食べ物」だからこそその人らしさが出るし面白いのだから野暮なことは言うまい。
それにしても好きな食べ物を見つけるのはやっぱり難しい。いや、古賀さんの言葉を借りれば決めるのは難しい。食べられる物であれば何でもおっけーという限りなさと、本当に好きなのかどうかという見極めの難しさ、さらにそこに自分らしさや納得感があるかとか、人に聞かれた時に話を広げられるほどのストーリーを持っているかとか、もう考えることが多すぎて決める前からほとんど疲弊している。古賀さんも言っていたが、1番好きな食べ物というのは複雑な心境と事情の中にある。大好きだと自覚している食べ物でも、口に出してはっきりと友人や同僚に話さねばならないシチュエーションがあるかもと想像したら、どんなに大好きでも「ハッピーターンです」とはちょっと言いづらい。今の自分が小中学生くらいのわんぱくガールであれば受け入れてもらえるだろうが、30代でハッピーターンはたぶん「え、1番好きな食べ物がハッピーターンですか?」とやや訝しがられそうだし、健康面であれこれ心配をかけそうでやっぱりちょっと言えない。共感されるにしろそうでないにしろ、あなたとは生きる世界が違うようですと、ピシャッと心まで閉ざされてしまうのは悲しい。単純に大好き!という気持ちだけでは決めきれないのが大人の好きな食べ物探しをより難しくしているところではないだろうか。いや、決めきれないの前に捉えきれていない私だからまだ土俵にも立てていないのだけれど。
さて、あーでもないこーでもないとやいやいしながら自分なりの「好きの軸」を設けて好きな食べ物を10こ以内に絞ってみた。果たして何が1位に輝くのか。古賀さん著書同様に、この記事を書きながら読者のみなさまと一緒に結末を迎えたいと思う。
#食のプロフィール帳 でわかったこと
現在の私編と、あの頃の私編と2枚、#食のプロフィール帳を作成してみた。あの頃については特にこの時代、何歳とかは決めずに、そういえばあの頃好きだったな〜と懐かしめる具合いであればいつの頃でも良いということにして、深く考えずパッと思い浮かんだものを書いた。


書いていてわかったのは、私って甘いものやお菓子が大好きなんだな〜ということであった。コンビニで買えるもので大好きベスト3の欄に、現在の私は甘いもので果敢に攻めきっている。コンビニとは甘いものを買う場所であると言わんばかりだし、実際私はコンビニに行くとほぼ甘いものを買っている。たぶん滅多に買わなくても大好きだと思うものはあるのだけれど、書いている時にサラダとか肉まんとかそういう類のものが一切脳裏をよぎらず、甘いものを考えられている今この瞬間が楽しすぎてうはうはする自分に気付き、従った。チロルチョコって…と自分でもややおいおいと思ったのだが大好きなのだから仕方ない。スイーツ&お菓子の欄を書くのも楽しかったな。私の血に脈々と流れる甘いもの大好き!お菓子大好き!精神は歳を重ねても、時代が移り変わってもまるで変わらず、むしろ健康上たまにしか食べられない物だからというのが特別感を感じさせ、よりときめきを増幅させているのではないだろうか。
とは言え、好きな食べ物としてお菓子はどうか
冒頭で触れたが私はハッピーターンが大好きだ。子どもの頃から甘じょっぱいもの代表として私の中に君臨し続けていて、いい大人になった今でも甘じょっぱさを求め買ってしまう。私はあまり冒険しないタイプだから昔ながらのスタンダードなハッピーターンをいつも買うが実は毎年いろんな味が出ていて、しあわせのいちご味や大人のショコラ味が出た時はハッピーターンの可能性を感じたし、何より亀田製菓の果敢に挑み続ける姿勢にうならされた。何を隠そう私は新潟出身で、亀田製菓とは切っても切れない縁がある。幼少期はぽたぽた焼と白い風船でまろやかに育ち、小学校の時の職業体験は胸を張って亀田製菓へ赴いた。大学生、社会人と大人になってから新潟を離れたものの、手塩屋と柿の種の力強さに支えられた。そしてどの時代にもハッピーターンが共にあり、気付くと数ヶ月ご無沙汰になっていたりもするのだけれどふっと思い出しては買い求め、付かず離れずな友のようである。こうして振り返ってみると我が人生亀田なしには語れないのだけれど、やはりお菓子、米菓というカテゴリーが30代女性好きな食べ物という「いい大人が食べる物」というイメージにブレーキをかけてしまう。いい女ではないがなにしろいい大人だからやっぱり気がかりだし、言うてたまの娯楽だ。好きな食べ物として掲げるにはちょっと未熟ではないか。それに、口に出すことが少しでもためらわれるのであればきっと精神衛生上良くない。パワーの乗り切らない言葉はもやもやを生むだけだ。というわけで、好きな食べ物としてお菓子は入れないということにした。#食のプロフィール帳で好きなことをしっかり自覚できたが、④お菓子系は泣く泣く外す。「お菓子」というのも調べるとくくりが難しいのだけれど、駄菓子、スナック菓子、米菓、和洋菓子など、基本的にスーパーのお菓子コーナーに並んでいるものはなしとして考える。「好きなお菓子ってなんですか?」と聞かれた場合に限り、ほとばしるお菓子愛を前面にハッピーターンと答えることにしよう。
その食べ物が好きだと言える7つの軸
大概の食べ物が好き、という世界観で生きる私は「好き」についてもっと丁寧に向き合わなければ一向に絞れないから、古賀さんの著書をもう一度読み進め好きとはなんだ?と考え、私にとってその食べ物が好きだと言える条件を言語化してみたところ、7つの軸が浮かび上がった。7つ全てじゃないにしろ、これらにしっかり引っかかった食べ物こそ、上位に好きな食べ物として位置付けても良いだろう。
【1】そのワードを思い浮かべただけで気持ちが上がる
食べる食べないに関わらず、そのワード自体にときめく。脳内が瞬間的に楽しくなる。いつでも、どういう瞬間でも感情を揺さぶってくるというのは好きだと言えよう。
【2】現実的な思考をとっぱらったら毎日でも食べたいし食べられる
リアルに考えれば太るとか不健康だとか胃に重たいとかいろいろあるけれど、何の制限も気がかりもなければ食べたい。きっと飽きもせず食べられる。そう思える存在は十分貴重であるし、好きとは無条件なことだ。
【3】さあ今日は何を食べてもいい日ですと言われたら絶対頭に浮かぶ
さあどうぞと放たれたら迷わず向かえる。突然のことでもピピッと体が反応し駆け出してしまえるほどのエネルギーはもう好きだ。
【4】その食べ物の好きなところを5つは言える
良い面をたくさん探し出せるのはそこに好意があるからこそだ。フォルム、味、匂い、人生的な思い出など、自分に幸せをもたらすポイントを語れたらそこにはもう好きが存在する。
【5】最後のひとくちは絶対あげられない
好きすぎるがゆえに、最後まで食べたい、最後だから食べたい、最後こそ食べたいという欲が先行し「あげられないよ、だって最後だもん」という気持ちになる。重たい愛を前には足るを知るなんて言葉は通用しないのだ。
【6】その食べ物がもしキャラクターになったら買わなきゃ!と思う
食べ物として位置していた存在が生き物として愛らしく動き出してしまったら、親友を応援するみたいな気持ちで愛でてしまう。キーホルダーにしていつも持ち歩きたいくらいの高まりようであればもはや沼である。
【7】結局今までずっと買い求めてきている
ずーっと手を繋いでいるわけでもないのだが、他の子と遊んでみてもやっぱりあなたが落ち着くのよねと結局また戻ってくる。安心感、収まりの良さは細胞レベルで大好きということであるし、潜在的になくてはならない存在なのだ。
最終的な決め手は、宣言して確かめる
古賀さんは著書の中で、好きな食べ物たちが集まった後考えるべきは「どの食べ物が好きな私を私は好きか」だと話す。単純にその食べ物が好き!だけではなく、その食べ物が好きな自分を自分が好きなのか?自分自身がしっくりきているのか?という確かめ算が必要なのだ。そのために古賀さんは、好きな食べ物として集まってきた16この食べ物を1つ1つ「好きな食べ物は〇〇です」と声に出して宣言し気持ちを確かめるのだけれど、「絶対においしいし大好きなのだけどもう少し華やかでありたい」「私にはちょっとおしゃれすぎる」「自分と一体かというと距離がある」と、心の機微をしっかり捕らえていく。不思議なもので、ちゃんと言葉にしてみると、ただ考えている時とは違う感覚が生まれるというか、ちょっとむずむずしておや…?みたいな気持ちが湧く。このひとことで私という人間が伝わり広まるのだと思うと、どこか冷静になる自分がいる。結局のところ、好きな食べ物は何か?という問いは「自分がどうありたいか?」が本質だとも古賀さんは話しているのだが、私のハッピーターンはまさにこのことで、大好きだし支えてもらっているけれど、今の私がありたい自分、伝えたい自分にはちょっとはまらないのだ。好きな食べ物が自分のあり方を示し、生き方を見せることならば、亀田愛を語ること以上に語らねばならないことがあるのだと思う。だからつまりは、何気ない雑談の中であろうとも、「好きな食べ物は何ですか?」という質問には「あなたってどういう人ですか?」という意味合いが含まれていて、単純に好きな食べ物を知りたいというよりはあなたという人を知りたいということであり、回答者は自分自身を好きな食べ物で説明するということなのだ。質問としても回答としてもラフにいける「好きな食べ物」に実はそんな大きなテーマが隠れていることを、古賀さんの体験と共に私自身が探し求めながら実感したし、大人の好きな食べ物探しが難しい理由も腑に落ちた。

最後、全員を整列させて目と目を合わせながら宣言し、これこそ私だと言える1人を決めたいと思う。

