とんかつ屋でうなった話。

喜びで目がキラキラする女性

家族の誕生日にとんかつを食べに行くことになった。主役が食べたいものを食べに行こう!と、「ほれほれお祝いごとなんだからなんでも言いたまえよ〜」という雰囲気を出したところ「じゃあとんかつが食べたい」とすんなり決まった。本来であれば盛り立て役の自分がお店を探し予約して「さあさあ」とエスコートをした方が良いのだろうが、なんせ主役はリサーチ力が鬼高く、予約のやり取りやキャンセルポリシーの把握など一切のことが抜かりないものだから遠慮なくお願いした。
さてここぞというお店を見つけたらしく、うっしっしとわかりやすく陽気さを出して電話をしに行く主役であるが、お店は忙しいのかタイミングが合わず繋がらない。予約方法は電話かインスタのDMでということだから、私のアカウントで希望日時と人数を入力したDMを送るとすぐさま返信が来てあっさりと予約が取れほくほくする。やり取りから見て人当たりが良くまことに丁寧な店員さんのようで、とんかつの旨さに関わらずお店に行くのが楽しみになった。

2週間後の誕生日ごはんに向けて食事睡眠運動と管理を怠らず、万全の体制で臨もうと家族一同わっさわっさと気持ちを高め合う。この2週間は「とんかつ楽しみだね〜」が合言葉になり、肉への期待がめきめきと立ち昇った。ここまで期待が甚だしいのには2つ理由があって、1つは久しぶりに肉を食べるというその希少度からだ。実は我が家はひょんなことから肉を買わない生活になり、普段食卓に肉が出ない。私自身は子どもの頃から自他共に認める肉女だったからずーっと肉と共生してきたし数ヶ月前までは毎日何かしらの肉を食していたのだけれど、買わない食べないが日常になったら驚くことに欲しないみたいな体になって、何を食べても良しとするハレの日ですら手を出さなかったりして自分で自分にぎょっとする。はて、人間というのは歳を重ねるにつれ体の感覚に鋭敏になり、本能で良いものを選び取っていくことができる生き物なんじゃないだろうか。健康志向の時代に背中を押されている部分もあるにはあるだろうが、感覚的には自分の内側からむくむくと湧き上がっているような、いずれ生まれたところへと帰り綺麗に溶け合うために心身をせっせと整えているような、そんな感があるから不思議だ。でもまあとはいえやっぱり肉は好きであるし、肉好きの血がここぞとばかりに騒ぐのだから人の心とは複雑ぞ。お祝いごとならばおいしく楽しい肉が必要というものだろう。
もう1つの理由は、そのとんかつ屋がめちゃめちゃにおいしいと評判のお店だからだ。主役が言うには日本屈指の、いや日本最高峰のとんかつ屋だそうで、県外からも食べに来られる人が後を絶たないんだそう。いやもうどんなとんかつや。プレミア感が半端ない。今は有難い時代で、おいしいものが巷に溢れかえっている。大抵のものはおいしいし、むしろおいしさだけでなく工夫を凝らして映えるような魅力的なスタイリングに仕上げられていたり、えっこれとこれが合うなんて…!と驚くような組み合わせを編み出されあっと驚かされるようなものも多かったりする。わざわざ遠出しなくともおいしい食べ物にたんとありつける環境なのだが、それでも埋められないものがあるのだと思うと欲望とはすさまじい。そしてその埋まらなさを埋めてくれるらしいこのとんかつ屋が恐ろしい。
私の人生の中で1番のとんかつと言えばまい泉だ。サクッサクに揚がった茶美豚のヒレかつとソースの相性はいつ食べても目を細めてしまう旨さだし、細く細く切られた柔らかいキャベツも胃を優しく包んでくれてなくてはならない存在である。キャベツにも結構好みがあって、私はぴんっとしてジャキジャキ噛みごたえのあるキャベツよりも、やわやわふわふわで頼りなさそうなキャベツが好きなのだが、キャベツという視点でもってもまい泉が好きだ。ソースをかけたらじゃんじゃんいける。これがおかわり無料ときたらもうそれはファンになってしまうこと必至であろう。こんなに大好きなとんかつ屋があるのにそれを超えてきそうなとんかつ屋に行くと思うと変な緊張が走ってどくどくしたが、失礼のないよう午前中しっかり外で運動しお目にかかる準備万端でランチへと向かう。

まずお店の外観にビビった。夜の街とされる界隈の雑居ビル。その側面をまだ営業していない複数の飲食店を横目に奥へ奥へと進むと、どう見ても街のバーか何かの風貌をしたお店が現れた。大きく重たそうなその扉は縦に細いガラスが施されており中の様子が見られるようになっているのだが、店内の照明が暗めでよく覗かないと様子が伺えない。これからとんかつを食べるぞという意気込み100%でやって来ると拍子抜けしてしまうような、しっぽり呑む感がびんびんに伝わってくる佇まいだ。さて入ってみると想像通りの薄明りで、狭いが通な大人たちが集う大人な場所といった感じで良い雰囲気である。弧を描くようなカウンターには5〜6人が座れそうだ。いかにもグルメそうなマダムたちと、東京カレンダーにでも執筆する予定があるのか独特の酔いしれ方をする男性と先客が2組おり、空いている真ん中の席に座る。お店の情報はあえて調べずに来たのでまだとんかつ屋だと信じられずほんとにここ…?と声にならない声で主役に視線を送るも、その視線の先に「本日のとんかつ」的なお品書きがあったからようやく心を落ち着けた。DMでお返事をくれたであろう柔和な女性がカウンター越しに丁寧にメニューの説明をしてくれる。お肉の部位で言うとロースとヒレに分かれており、その中で質感がしっかりなものから柔らかなものまで種類がいろいろあるそうで「今日入って来ているのはこちらとこちらと…」と説明を受ける。脂身の少ない肉が好みな我が家なので迷わずヒレにして、主役は質感がしっかりめなどろぶたに、私は真ん中くらいの幸福豚にした。なにしろお祝いの日だしこの日に懸けてきたわけだから120gではなく180gにしてかっ喰らおうと目を見合わせ力強くうなずく。基本は定食なのだがとんかつだけ60gで注文したりもできるということなので、小さい家族には質感柔らかな氷室豚を頼み、ごはんやキャベツは大人のおかわり1回無料を使えますよと勧められたのでそうさせてもらう。
注文を終えると自家製のお漬物が出てきたのだがこれがすでにもう最高で、これだけでごはんめっちゃいけるんだけど…!と、落ち着いた雰囲気を壊さないよう静かにきゃーきゃーする。とんかつへの期待に胸を膨らませていると、ずっと背中を向けながらもくもくととんかつのお世話をする大将の手元に、ふわっふわな雪のようなものがこんもりしたバットが現れた。なんだなんだと目を凝らすと、なんとそれは衣を身にまとった豚肉たちであった。ちょっと、とてもとても衣には見えない。なんせ雪さながらの真っ白であるし、今じゃ当たり前になったふわっふわなかき氷とほぼ同じ見た目なんである。とんかつと言えばやや黄身がかったパン粉をまぶすものという認識でいたから、あまりの様子の違いに釘付けになる。が、すごいのは衣だけじゃない。肉の厚みよ…。テニスボールかなと思うほどのごろごろ感でとんかつの概念を覆してくる。これを中がミディアムな具合いで揚げるということだが、ミディアム好きな私は想像だけで脳が弾けそうになりお茶を飲んでひーひーふーと落ち着けているところ、小さい家族にはよく揚げたものも提供できるがどうするかと聞かれ「ひっ、あっお願いします」と答える。
とんかつが揚がる頃、お味噌汁とごはんが配膳され、ソースと塩、ドレッシングの説明を受ける。大根おろしも追加できるということなので「ぜひ!」と2つもらい、醤油を垂らして準備万端にした。すると「どろぶたと幸福豚を半々にしてお出ししましょうか?」とまことに有難い提案をしていただき、それにも「ぜひ!」と答えた。こういう類のお店は大将のこだわりがあってあれこれカスタマイズするのが難しいイメージだったから、自由をちゃんと担保してくれるスタイルなんだ、いいな〜と好感を持つ。
さていよいよ、どろぶたと幸福豚の食べ比べとんかつセットのお出ましだ。大きめサイズに切られた分厚いとんかつは衣の色が柔らかな茶色で、揚げてあるのにふわふわと優しく、つぶが立ったような見た目の衣になっており驚いた。あの雪のような衣は揚げられてもなお雪のようだ。そして隣に盛られたキャベツはふぁさ〜っと佇んで、とんかつの引き立て役を立派に務めてくれている。私はキャベツをがしっと胃に敷き詰めてからとんかつにいきたいタイプだから迷わずドレッシングを手に取り、颯爽と食べ進める。まずこのドレッシングがおいしすぎた。自家製感たっぷりのとろとろとしたドレッシングだったのだが甘さと酸味が絶妙で、肉にいく前にうなってしまった。まい泉のキャベツほど細くはなかったけれど、これくらい存在感のあるドレッシングにはシャキシャキ噛みごたえのあるキャベツの方が合う。付け合わせなんてとても呼べやしないくらいにおいしすぎて、箸が興奮してドレッシングが服に飛んだ。
さてついにとんかつだ。幸福豚をまずは塩で食べてみる。衣のサクッ、いやシャクッという優しい音と共にぎゅんむっと肉がめり込んでくる。分厚いヒレの力強さが口の中で弾み、ときおりシャクッシャクッと優しい衣が手を振り最高のバランスを保ったまま胃に落ちていく。最高だ。ちょっと本当にもう最高なんだけど…!塩で食べるとんかつはこんなにも肉の味がダイレクトに広がるのだな。どろぶたの方も塩で食べてみると幸福豚よりややパンチがあって、ぎゅむむむ…という食感だった。身が締まって隙のない感じ。しっかり肉と向き合わせてくれるのはどろぶただろう。いずれにしても絶品すぎて甲乙つけがたい。
さて次は大根おろしで食べてみる。おろしのみずみずしさが衣を溶かしたかと思うと、ぬっと立ち現れる肉。やっぱり来たか。容赦ないパワフルな食感がガツンと来る。水気がプラスされ肉の身が締まるのか塩の時以上に強さが激しい。だがやはりさっぱりとした食べやすさがおろしにはあって、揚げ物という強度を緩めてくれる。うん、これも好きだ。
さあ大本命のソースとからし。おいしいことが確定されているコンビはこの2人を差し置いて他にいないのではなかろうか。どっぷりソースをくぐらせ、からしを少しつけて大きめにがぶっ。んむぅぅーーーーー!!!!!好きーーーーー!!!!!!おいしい、おいしすぎる。甘いソースが衣と肉をまとめあげて口の中が最強だ。肉をむんぎゅむんぎゅ噛みしめているとソースがだんだんと姿を消していくが、待ってましたとばかりに肉の肉味が顔を出し決してソース味ではシメさせないぞという気迫でぎゅんぎゅん来る。ソースもあくまで引き立て役なのだ。表情を変え最後の最後まで楽しませてくれるプレースタイルに舌を巻くしかない。旨さが明らかになったらもうあとはとんかつ、ごはんごはんごはんともりもり食べ、塩、大根おろしとあっさりめで来ていたこともあって本当にうなりまくりだった。私はあまりにおいしいものを食べた時、眉毛が下がり困り顔になってしまうのだがその顔を見てちょっと不安そうな大将の雰囲気を視線の端に感じたから、目を瞑って「おいしい…」と漏らすと「ありがとうございます」と大将が優しくつぶやいた。他の2組はカウンター越しで大将と会話しながら食べていたけれど、我が家はほぼ会話もせず集中して食べていたものだから大将も不安だったのだろう。食に猪突猛進な人間たちが集まっているから結構こういうことが起きる。そういえばと、今日は盛り立て役だったことを思い出し主役の方を見ると主役もしっかり食べ終え満足そうだったから安心した。

おいしいとんかつって、肉がすごいのかそれとも揚げ方がすごいのかと興味津々だったが、どっちもうんとすごかった。すごすぎた。大抵大好きなソース味でシメる私がなんとなんと塩味でシメていたから、これは肉そのもの衣そのものが相当おいしかったということだと思う。塩味で活きる食べ物が本物、ということにじわじわ納得がいった。

ランチにとんかつで1万円。自分の感覚で言ったら間違いなくお高いランチだったけれど、今日は祝祭だし「経験だよね、経験を買ったよね」と良いお金の使い方ができたことを喜び合った。
日本最高峰と言われるとんかつを食べた今だからこそ、まい泉のとんかつを今一度新鮮な気持ちで食べてみたい。おいしいと好きは似て非なるものだ。その境目をじっくり見極め、とんかつという存在の立ち位置を探ってみたいところである。

まいたけ

それにしても幸福豚ていい名前ですな。

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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

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