インスタで調べものをしていたら、20代男女と思われる素敵なイラストが目に留まった。全体的にあたたかみのある雰囲気で、アニメっぽさとも少し違うような可愛らしい描きぶりに心をつかまれ見てみると、「ChatGPTでジブリ風にしてもらったよ〜」と、2枚目に元画像が投稿されていた。なるほど、人工知能にこの元画像を提示してジブリ風にしてほしいと依頼したら、ジブリ感満載なイラストにしてくれるのだなと理解する。そうだそうだ、確かに言われてみればジブリの中の登場人物たちと同じような雰囲気があるし、むしろどの作品に出てきましたっけ?と聞きたくなるような完璧なジブリ風貌だ。なぜぱっと気が付かなかったのか…ここに来てジブリに明るくない自分が悔しい。
それにしても、「ジブリ風にしてください」というどちらかと言えば雑な指示出しだけでこうもジブリっぽく仕上げてくれるのだから、人工知能とはすごすぎる。ジブリのジブリっぽさを表現すべく、ジブリ作品をわんさわんさと学習しまくったのだろうがちゃんと似てもいてクオリティーが見事だし、ジブリ好きの人ならばきっと一度は夢見る「ジブリの主人公になってみたい」願望を叶えてくれるというのはまことに嬉しい取り組みである。
私はジブリに疎いがかわいいイラストが大好きで、自分では描けないからイラストレーターさんに漫画っぽくデフォルメしてもらったりキャラクター化してもらったりしてアイコン制作を依頼することがあるほどだ。かわいいと言ってもいろいろあるけれど、素朴さとゆるさとそこから醸し出される親しみやすさにわあー!と心が弾む。ジブリは特に親しみやすさが群を抜いているから近しい存在として愛でたくなってしまう。
さてどんな感じのジブリキャラになるのかと、「実は気になってて今度話そうと思ってたんだよね」と話す家族と一緒に、旅行した時の家族写真を提示しジブリ風にしてくださいと依頼する。2分ほどでジブリ風に生成されたその画像は想像以上にジブリ感とそっくり度をしっかりクリアしており、出来栄えがすごすぎてぎゃーぎゃーした。こんなのもうジブリやん!まいたけちゃんおもひでぽろぽろ出てるやん!とわいわいし、背景も手を抜かず再現度が高いところにもすごー!と盛り上がった。「あの時」を切り取った写真がジブリ風のイラストになることでより思い出感が増し、ずっと大切にしようという気持ちまでむっくむっく募るから不思議なものだ。実写よりも愛着が湧く。ジブリに限らずイラストの魅力だなあと噛みしめる。
ジブリ風にハマった私は自分でもChatGPTアプリを入手し、一日中狂ったように「ジブリ風にしてください」と頼み続けたのだが、これはちょっとどうなんでしょう…という画像も返ってくるようになったからいよいよ指示出しを変えねばと立ち上がる。というのも、手は写っていない写真なのにピースをしていたり、裸足なのにしっかり靴を履かせてくれたり、遠近で写る2人を隣に並べてくれたりと結構アレンジ力を見せてきたからだ。家族が試した写真なんかは2人写真が3人写真になるという工夫っぷりを出してきたからさすがに何してくれてんねん!というか誰が見えてるん!?とどよどよした。
思い出は思い出のままに残したい私は実写に忠実であってほしいという思いを「写真に忠実にジブリ風にしてください」という言葉に託した。すると人工知能もこちらの思いを汲んでくれたのかそのままの形でジブリ風に生成してくれるようになったからそうそうこれこれとほっとする。「どういう感じにしてほしい」というニュアンスを伝えるのは難しいけれどなるべく的確に丁寧な言葉選びをするというのが伝える側の頑張りどころだなと、雑には雑が、丁寧には丁寧が返ってくるという至って自然なことにはたと気付く。とはいえ、「表情に少し優しさを出してほしい」などというふんわりした伝え方でも、目尻を下げたり笑っている口の形に丸みを出したりときっちり対応してくれるのだからさすが高性能人工知能である。
こうしてあの時の思い出を変えることなくジブリ風にすることに成功したのだが、何枚も依頼しているうちにそのオーダーには飽きましたと言わんばかりにまたアレンジ力を見せつけ始めぎょえーとなる。変化の時代に合わせて常に変わり続ける精神でも宿らせているのか、それともこちら側を退屈させないサービス精神だろうか。何にしても、「こういうのもお好きでしょう?」的なのは要らんのだ今は。
若かりし頃に家族と鎌倉の海で撮った思い出の写真を依頼するも、どうもその通りに切り取ってくれない。ジブリ風はそれなりに満たしてくれているのだが、洋服のアイテムを変えたり家族のトレードマークであるお髭を勝手にとっぱらったりそれこそ顔ももう似ていなくなって、これじゃあ別人じゃん…とじりじりする。1つ修正を伝えるとその他の部分にも手を加えてくれたりするものだから、ここはいいんだけどここは違うみたいなことが続きにっちもさっちもいかなくなって、ひとまず原点に戻ろうと「写真通りに、忠実に、お願いいたします」と丁寧に頼んでみる。すると、あろうことか「ジブリ風にしてください」の部分が受け継がれず、元画像とほぼ同じ完全な実写で、顔面だけ類似する誰かの顔をはめ込んだ画像が仕上がってきたから、いや今度こそほんとに誰やねん!!と1人突っ込んだ。確かに顔も表情もそっくりな人で、元画像なしで見たら自分たちかな…?と見紛うレベルだがなにしろこれは別の人々だ。そしてどこいったよジブリ風。忠実度は半端ないが求めていたのとは明らかに違うぞ。とは言え、あれだけやり取りを繰り返したのだからそこはわかっているはずだと、ジブリ前提で話を進めてしまい丁寧な説明を怠ったことを静かに反省する。いちいち丁寧に、が人工知能とのコミュニケーションには欠かせないのだなと、相手に合わせてこちらのあり方も変えねばならないことを学んだ。
何十枚も依頼するうちに気付いたことがある。私のアイデンティティはどうやら口らしい。いや、口というか歯かもしれない。にぃーっと歯を出して笑っている写真がほとんどなのだが、毎度しっかり逆三角形の口に歯の一本一本がくっきりしたイラストに仕上がってくる。家族の場合は歯の全体像がさらりと描かれているだけで、私のように歯歯歯歯歯という感じではないのだから歯が私の見どころなのであろう。もともとこれといった特徴のない顔なのが私で、似顔絵を描くことが生業の方々にとっては非常にやりづらいモデルとして生きてきた。描いてもらっても、わあ!特徴捉えてる!みたいな感動はもちろんなく、似ているのか似ていないのか本人でさえ怪しいというようなリアクションになり相手にも気を使わせてしまうことが多かったから、子どもの頃からそういう場面では描く側に回ってきたものだ。それでも、自分の顔の特徴はどこだと思うかと聞かれれば、強いて言えば目ですかねぇと、上に丸みがある半月目を自分の特徴として認識していた。一般的に見れば大きいと分類される目で、自分としてはぼんやりと眺めているだけのつもりなのに友人から「すっごい見られてる感じがする」とビビられることも多かったのだ。だからこのジブリ風画像でも当然目に自分っぽさを感じるものだと思っていたけれど、見ていると口、歯の方が圧倒的に私だ。忘れていたが、私の歯は前歯がでかい。歯並びが良いと思うより先に前歯のでかさがぎゅんと迫ってくる。そういえば大学時代からの友人と前歯同盟を結び、前歯全開なにっこにこプリクラをよく撮っていたことを思い出す。そうかそうか私の個性はこの歯なのだな。自分の認識と他人の認識の違いを目の当たりにしてぎょっとしたが、相当なゲラを自覚しているから個性=歯がものすごくしっくりきたし、いつもぎゃはぎゃは笑う自分で生きられている証を授かったようで嬉しい。

何にせよ、自分では見えていなかったものを見せてくれ、気付いていなかったものに気付かせてくれた人工知能の取り組みに敬意を表したいと思う。