「あの海を見たら 魂が酷く跳ねた」
これは、ヨルシカさんの「アポリア」という曲に出てくる歌詞の一節だ。
初めましての音楽を聴く時、大きく2パターンに分かれると思う。
曲調や旋律の運びに耳をすますタイプと、どういう内容を歌っているのか、その歌詞に耳をすますタイプだ。
今までの人生を振り返ると、私の周りには後者が多かったように思うが、私は決まって前者のタイプで、2〜3回聴いてみて、うん!この曲の雰囲気好き!サビのメロディー好き!となって、初めて歌詞に耳を傾けられる。よし歌詞を見てみようか、となる。
歌詞派の方には叱られそうだが、歌詞を文字としてはっきりと目で捕らえるまでは、ちっとも内容が入ってこないのだ。
その証拠に、えっこんなこと言ってたの!?と驚嘆したり、面食らったりすることも少なくない。
私にとっては歌詞は二の次で、まずメロディーに自分がマッチングするかが重要のようだ。
だから学生時代、友だちに「あの曲聴いた!?いいよね〜」と言われ、私も何回か聴いて「いい!明るさの中に見え隠れする切なさが好き!」と思っていたので、「いいよねいいよね!」と答えると、「ここの歌詞がさ〜」と、歌詞トークが始まった時は結構あたふたしていた。
あっいいってそっち…と、心の中でさっきまでの興奮を不自然にならないように静めて、うんうん確かにー!と聞き役に徹したりした。
結局のところ、自分の好きなように聴けばいいと思うのだが (いや、私みたいな人間なんぞは歌詞のない曲を聴いておけ!と言われるかもしれない…) 、私は密かに歌詞派の人たちに憧れを持っていた。
だってまずかっこいい。全面に文学っぽさが漂っているし、硬派な感じもする。その歌詞のどこに共感し、どんな想いを馳せたのか、ストーリーを語れるのも羨ましい。
ネットで歌詞の解説なんかをしている人がいるけれど、もう驚愕する。もはや尊敬しかない。良い意味でうなだれてしまう。アーティストの想い、魂のメッセージは歌詞に宿っているんだということを、身をもって証明してくれている。
ところが、アポリアを初めて聴いた時、事件が起きた。あの一節が、まるでまいたけさーんと呼ばれたかのようにすんなり入ってきた。
「あの海を見たら 魂が酷く跳ねた」
魂が酷く跳ねた
という表現に、それこそ私の魂が跳ねてしまった。
なんかもう突然の目覚ましジリリリリに飛び起きたような、そんな衝撃だった。
身近な表現だと「感動した」っていうのが近いと思うけれど、それを「魂が酷く跳ねた」と表すとは…かっこいい。かっこよすぎないか。
嬉しいとか、涙が出るほど感動した、ではとても表しきれない感動がそこにあったんだろうことが伝わってくる。
まるごと掻っさらわれてしまったんだという感じが伝わってくる。
あまりに胸を打たれたので、魂が酷く跳ねるなんていう光景が、自分にはあるだろうか、あっただろうかと考えてみた。
すると、これは間違いないと思える光景が出てきた。
サイレンが鳴る救急車を、周りの車がどうにか工夫して避けるあの光景だ。
不謹慎なことを言うでないと思われた方、少し説明の時間をもらえないだろうか。
そもそも、緊急車両の進行を妨げてはいけないということは法律で決まっている。もし守らなければ、緊急車妨害などの違反となり、罰則が科される。
病人、ケガ人、傷付いたあらゆる人たちの無事を願う法律であり、助けに向かう救急隊員へ声なきエールを送る法律だ。
私は子どもながらに、この法律が好きだった。
急ぐ救急車を見ては、がんばれがんばれと視線を送った。
狭い道路だろうとなんだろうと、少しでも端に寄せて、どうぞ行ってください!と泣けるほどの積極性を見せる運転手さんたちに胸が熱くなった。
そう、泣けるほど、というか、もうほとんど泣いていた。
優しさに、かっこよさに、どうしようもなく嬉しくて、自分は何にもしていないけれど誇らしくて、それが溢れた。
大人になった今、もう少し鮮明に話してみたい。
サイレンを鳴らす救急車が来るまでは、みんなそれぞれの世界に生きていた。
お客さんを目的地に連れて行く道中の仕事モードなタクシードライバー、最近好きな曲を口ずさみながら運転する歌詞覚えたてドライバー、習い事に通う子どもを迎えに急ぐお母さんドライバー。
それぞれが自分の世界に生き、言ってしまえば外の世界には無関心だった。
だけれど、救急車の参上によってマイワールドが遮断され、意識はぐっと外に向く。
それぞれが、たった今できることをやる。たぶん法律がどうとかじゃなくて、ほとんど無意識にやっているはずだ。
そうやって誰かのために動くことで、バラバラだったものがしっかりとひとつになる。図られたわけじゃない一体感が生まれる。
このチームプレーに、私は人間の温かさ、誠実さを見てそこはかとない喜びを感じる。人間ていいものだ、と心から思う。
そして、この世界は決してバラバラではなく大きなひとつとして存在して、自分はその中のひとつ、全体としての一部だという感覚に魂が揺さぶられる。
一致団結の経験を通して自分の存在価値を知り、生きることの喜びを知る。
こんな風に愛が生まれる光景を、魂が酷く跳ねてしまう光景として認定したいと私は思う。
自分以外の人間と融合したいというこの欲望こそが、人間のもっとも強い欲望である。(中略)
愛するということ / エーリッヒ・フロム
この世に愛がなければ、人類は一日たりとも生き延びることはできない。
話し下手で、人付き合いも苦手。良くも悪くも、感情が波打つことに疲れてしまうから、1人でいるのが好き。
そんな私だけれど、魂レベルで見るとやっぱり望んでいるのだ、と思う。揺さぶられることで、ちゃんと自分を生きたいのだと思う。
ヨルシカさんのあの言葉は、あの魂の歌は、私にとって大切なことを届けにきてくれたんだとしか思えない。
全てをひとつにまとめてくれる音楽の存在も、本当に素晴らしいですよね。