自分てちっちゃいな〜と思うこと、あったりしますよね…?
誰かに言われたちょっとしたことに本気で苛立ったり、引きずったり。
反対に自分の言動にずーっとくよくよ後悔したり、私はしょっちゅうだったりします…
心が波立たず、穏やかで安定感のある、器が大きい人間になるにはどうしたらいいんだろう。
具体的な心掛けをまとめてみました。
そもそも、人間の器とは?
人間の器が大きい、小さいという言われ方をしますが、要は「心の広さ」を指していると思います。
他人の失敗や間違いを、責めるんじゃなく許せるか。水に流せるか。
自分に起きた不運や不遇な出来事を、嘆くんじゃなく笑ってバネにできるか。
つまりは、目の前の出来事に対する心のあり方を、良い方向に持っていけるかどうかです。
今沸いた負の感情を引きずるのも、水に流してすぱっと切り替えるのも、全部自分で決められる。
人間の器が大きい人はいつも後者を選んで、感情のコントロールをしながら生きているんだと思います。
くよくよせず、怒ったりもせず、とても安定感がある。だから器が大きい人だな〜と感じる。
この人なら否定せず受け入れてくれそう…!と、人からも慕われるわけがわかりますよね。
感情を穏やかに保つ努力を繰り返すことが、人間の器を大きくしていくんだと思います。
人間の器が小さいとどうなる?
大きいコップと小さいコップ。同じ速さで水を注いでいくと、当たり前ですが小さいコップの方が先に溢れてしまいますよね。人間の器が小さい人はこれと同じ。
度々心がいっぱいいっぱいになってしまう。感情に飲み込まれることが多く、理性が働く出番が少なくなるので、器は小さくなる一方。
嫌なことがあれば不機嫌になり、ずーっとイライラを引きずったりするので、何よりも自分が1番苦しいです。
そしてそれは周りにいとも簡単に伝染し、人が離れ、運からも見放され、どんどん生きづらくなってしまう。
器の大きい人は、筋トレと同じように、自分を理性でコントロールする練習を日々積んでいるのだと思います。
人間の器を大きくするために心掛けるべきこと
起こる全てが「必要なこと」だと受け入れる
なんか今日はダメだな〜っていう日がありますよね。そういう時って本当に何もかもうまくいかない。遅刻しそうなのに忘れ物をしたり、仕事でミスをしてめちゃめちゃ怒られたり。
当然、イライラするし落ち込みます。誰かに八つ当たりしてしまうこともあるかもしれません。
けれども、普通に受け取ったら悪い出来事なんだけれども、やっぱり人は、失敗するからこそ何かを得て成長できるもの。失敗がきっかけで大きく変われることもあると思います。
そう考えると、どんなに悪いことでも、そのどれもが自分の人生に必要なこと。全て学びになり、改善になる。ちょっとずつ、善くなっていく。
もしイライラするような出来事に出くわしたら、「これも人生に必要なことなんだ」と考えてみてください。コップの水は溢れずに、心も前向きになるんじゃないでしょうか。
「仕方ない」で、次に進む
「仕方ない」って、熱量の足りなさを感じるというか、あきらめが早いみたいな、私はなんとなく悪いイメージを持ってたんです。
が、本当は、思い通りにいかない世界で、穏やかに生きるための大事な考え方だなあと。
人生には、自分がどんなに一生懸命生きていても、良い結果にならないことがあります。
人はみんなで生きている。それも、価値観、考え方、能力、いろんな違いを持った人たちで成り立っているので、それはごく自然なことです。
だけど、感情は反射的に動いてしまう。勘弁してよとため息が出たり、とばっちりを喰らったと苛立ったりしてしまう。
だからこそ、すぐさま「仕方ない」と考えることが大切です。
もう起きてしまったんだから仕方ない。どうしようもない。今すでにそういう状況になってしまったんだから、誰かを責めても仕方ない。
そう考えると、じゃあどうしようか?と、立ち止まっている自分の心を先に向けることができると思います。
誰が悪いとか、許す許さないでもなく、はい次!と軽やかに切り替える。
「仕方ない」は、感情的にならずに、しかもちゃんと前に進める言葉だなあと思います。
心を見て、結果を見ない
実はこれ、江戸時代の日本の武士、教育者として知られる吉田松陰の名言の一節。
この言葉ほど、人に寄り添える言葉を私は知りません。
先にも触れたように、他人の失敗によって自分に苦労がかかるような事態が起こることってありますよね。
そういう、人を責めたくなってしまう結果になった時こそ「その人の心を見るんだよ」という、これこそ器をぐんと大きくできる心掛けだなあと思います。
店員さんがつまずいて、自分に水がかかった。
部下のミスで、取引先を怒らせた。
子どもがお友だちにケガをさせたのに謝らなかった。
どれも、苛立ちをぶつけてしまいたくなるような結果なんですが、この結果を見ずに、心を見てみる。今どんな気持ちだろう?と、心に寄り添ってみる。
こちらの想いに反して、えっそんな感じ!?と思うような言動が返ってくるかもしれませんが、それでもその裏にある心を想像してみる。想像が難しければ、ちゃんと聴いて、対話をする。
もしかしたら新人さんなのかな。今日は体調が悪いのかもしれない。
きっと落ち込んでいるだろうから、後で話を聴こう。
わざとじゃない!って気持ちだからかな。本当は謝りたいけど、タイミングを逃して言いづらくなってしまっただけかもしれない。
そうやって視点を変えることが心を成長させ、またその姿勢は、自分のことを理解しようとしてくれているんだという信頼にもつながるはず。
結果を見て突き放してしまうんじゃなく、心を見て寄り添う。
これこそが、人間の器が大きい、寛大で寛容な人が心掛けていることなのだと思います。
人間の器が大きい人は「いつでも受け入れ態勢」
結局、あたふたもせず、イライラもせず、「あっそういう流れですね、はーい」とどっしり構えている人って、いつでも受け入れ態勢なんだろうなと思います。
来るもの拒まず去るもの追わず、ただただ今起こっていることを受け止める。
なぜそんな態勢でいられるんだろうと考えてみると、「争いが何も生まないことを知っているから」かなあと。
SNSで、お互い好きな俳優さんにも関わらず、コメント欄で言い争っているのを見たことがあります。
お前なんか消えろとか、そういう見るに堪えない内容です。
興味関心を向けたものが同じで、それって本当はとても奇跡的で嬉しいことなはずなのに、いがみ合ってしまう。すごく悲しいことだし、その争いの行き着く先って…と考えると怖くもなります。
拒絶態勢で生きると、争いしか起きないんです。
誰かのちょっとした言動に恐ろしいくらい腹が立ったり、いても立っても居られなくなったりするんです。
器が大きい人は、それをよく心得ている。
みんな違う人間で生まれてきているのは、「共通点」を見つける楽しさを知るためなんだよ。とか、名台詞をサラリと言ってくれそうな気がします。
受け入れ態勢だから、寄り添える。温かい言葉をかけられる。
自分の正しさを証明するよりも、とことん理解しにいく。
理解されたい、大事にされたい気持ちが先行してしまう私ですが、そんな生き方に寄せていって、達観した人間になりたいと思っています。誰にでも平等で、肯定的な青い空のような、おっきな人間に…!