スマホゲームをやめたら生き方が変わった

空が映るスマホ

ブブッ。
週間レポートがあります。画面を見ている時間は先週から63%増えました。

他の通知となんら変わらぬ振動が、やけに腕に残った。
先週はスマホに取り憑かれていましたよーというメッセージは、体温を急激に低くした。


通勤時間なし、仕事はパソコンのみ、本は紙で読む派の私が何に依存したのかというと、ゲームだ。


私は育成ゲーム、街づくりゲームが特に好きだ。
ねこ、ペンギン、キャラクターもの…かわいいビジュアルに弱い。

最近では「雲を育てる」というゲームにハマっている。
金魚鉢の中にぼやっと浮かぶ小さな白いもや。ゴミにしか見えん…という感想は脇に置き、「くもっふ」と名前を付けた。
若干発音しづらいけれど、私は無条件で「もふもふ」という言葉に癒される人間なのだ。

実体のないエサとおやつをあげると、くもっふは形を変えながら大きくなっていく。
雲らしい姿になってくると、どんどんかわいく見えてくる。


育成ゲームは、こうなってくるともうおしまいだ。会いに行かずにはいられない。
私の場合、6このゲームを並行して進めていたから、それぞれにちゃんと尽くそうと思ったらあっという間に1時間。

しかもこういうのはどんどん麻痺して、1時間も2時間も変わらないか!という、狂った思考をさせる。
隙間時間どころか、ゲームゲームゲーム、読書、ゲームゲームゲーム。逆転してしまった。

それで、やった!好きなゲームができた!最高!と心が晴れやかなら良いけれど、現実は逆だった。
好きなことをしているのに、胸のあたりはきゅうきゅうとしていた。
このままで良いのだろうか、という危機感はいつもあったと思う。



そもそもよく考えたら、ゲーム云々の前に見過ぎではないか…?
-63%で普通に過ごせていたんだから、どう考えても増えすぎだ。
体重にしたら5〜6kg増えたくらいの罪な気がする。しかも不安まで増えた。


やめよう。とにかくやめよう。
自分を見失っていることに気付かなければ。
なんか、人間として生きていない感じがする。地に足がついていない。
脳みそに、そんなんならもう働きませんよと、見放されたような感覚もある。

軌道修正するんだ…!と、自分のお尻を叩いた。
アプリは、消せなかったけど、目につかないように工夫した。



数日経った時、読書をすることよりも、ゲームをしないことが大切だということに気付かされた。
不安という不安は消え、時間も、やる気も、考える力も戻ってきた。


たぶんSNSも同じなのだろうな。
私は普段ほとんどしないのだけれど、ひとたび見てしまうと、思わず「え”っ」と固まってしまうほど、時間が経っていることがある。
目的があって見ているならまだしも、大抵は見なくたって何の影響もないものが多く、しかも見た後はなんかざわざわしてたりする。
考えなくて良いことを考え出すし、「繋がり」という、手を伸ばしたくなる温かい響きの裏には、それなりにトラップも多い。

何をするかじゃなくて、何をしないか。この言葉をちゃんと噛み締めた。



心の喜びは結局、「磨かれていく自分」なんだと思う。
私にとってゲームは、自分を磨くものじゃなかった。
やっぱり、書くことなのだ。
生き死にに関係ない、やらなくても普通に生きていけることだけれど、それを一生懸命やる。
そうして向き合った分だけ、確かな強みが確立されていく。
そこに自分の生き様が出ると、信じてみたくなった。



書けないからゲームにのめり込んだのか、ゲームをしたいから、書けないという理由をつけたのか。
もはやどちらでも良いけれど、ちゃんと自分を育てようと思う。
覚悟を決めてしまえば、こんなにも軽々と、清々しく走れてしまうものなのだから。


見上げればそこにある、大きな空と雲を見つめ、今日も深呼吸する。

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この記事を書いた人

自身の気付きや学びをベースに、"より善く生きるコツ"をお届けしています。

いつだって心穏やかな人でいたい。生きることに、シアワセな気持ちで取り組みたい。そんなお仲間を見つけられたら嬉しいです...!

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